カイト・カフェ

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「ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語」~岐阜市ホームレス殺人事件

 岐阜市でホームレス殺人事件の容疑者少年が5人逮捕された。
 私など、家に入り込んだネズミさえ殺すことに躊躇いがあるというのに、
 彼らはなぜ、大した理由もなく“人間”を殺すことができるのか--。
 想像もできないことを想像してみる。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200424073126j:plain(「路上生活」フォトACより)

岐阜市ホームレス殺人事件】

 三月の末、岐阜市内でホームレスの男性が少年たちに石を投げられて殺された事件で、岐阜県内の少年5人が逮捕されたというニュースがありました(2020.04.23朝日新聞他)。

 普段なら大きな扱いになって情報番組でも繰り返し放送されるはずですが、世の中は新型コロナ一色。新聞社のWebサイトのホームページにすら載ってきません。

5人は友人同士で、一部は県内の大学に通っている

ということですからかなり高い年齢層だと思うのですが、それでも少年は少年ですから今後こまかな点まで情報として出てくることはないでしょう。
 本当は、学ぶべき点が多いはずなですが。

【決定的に共感性に欠ける人々】

 相模原障害者施設殺傷事件の犯人・植松聖もそうだと思うのですが、世の中には決定的に共感性に乏しい人がいます。

 文芸春秋の今月号(5月号)に「植松聖からの手紙」という記事があって、その中で筆者の最首悟和光大学名誉教授は、
『報道では犯人が「異常な人物」と強調されていましたが、私は犯人が「正気」であると確信していました。異常者ではなく、普通の青年による犯行なのが恐ろしいのです』
と書いておられますが、再三申し上げている通り私は自分が犯人と同一視されることを断固拒否します。数十年さかのぼって植松聖と同じ30歳の私でも、どんなに追い詰められても19人の命を平然と奪うようなことはしません。
 また植松聖が「日本中どこにでもいるような普通の青年」だったら、私は怖くて街にも出られない。植松聖は「異常者」ではないかもしれませんが、決して「普通の青年」ではありません。

 ただし“人は誰でも、子どものころはその内面に共感性の乏しい残酷な側面を持っている”という話でしたら、一部賛成しても構いません。
 いじめ問題だとか、対教師暴力、家庭内暴力などでは、しばしば「子どもはどこまで残酷になれるのだろう」と戸惑うことさえあります。

 これは弟の友だちの小学生時代の話ですが、その子はなぜか遠足が嫌いで、前の日、アマガエルを殺すと雨が降るという話を思い出して茂みに入っては探し出し、地面に投げると一匹一匹踏みつぶしたと言います。子どもはそういうことができるのです。
 小さければ小さいほど、「他人の気持ちになって」とか、ましてや「小動物の気持ちになって」といったことはわからないからです。

 しかしそうした子どもっぽい残酷さも、普通は大人になるにしたがって失っていきます。自分と同じように他人の気持ちも推し量ることができるようになり、しばしば共感し、やがて自分とは決定的に異なる人間に対しても最低限の礼儀を守ることができるようになる、それが成長です。かつてのいじめっ子が、“自分はなぜあんなことができたのか”と不思議がるのはそのためです。

 しかしごく少数ながら、そうはならない、あるいはそうなるのがずっと遅れる人たちがいます。岐阜市のホームレス殺人事件の少年たちも、おそらくそういう人間でした。ホームレスに対して、自分をまったく投影できない、共感の欠けらもない――。

【18年前のホームレス殺人事件】

 ホームレス襲撃事件自体は珍しいものではなく、1980年代からほとんど毎年のように起こっています。(*)
 ホームレスが襲撃しやすいのは、社会の最底辺にいて何の役にも立っていないように見えるからかもしれません。たいていは疲れ切っていて、立ち向かう力もないように見えますから、そこが暴力の対象になりやすいひとつの理由かもしれません。しかしいくら視点を変えても、彼らの心情は分かってきません。
*参考:ホームレス問題の授業づくり全国ネット

 2002年、東京都の東村山市で一人のホームレスが6人の中高生(中学2年生4人、高校2年生2人)に殺されました。
 少年たちの一部が図書館で騒いでいたところ、被害者に注意されたことを逆恨みしての犯行だと報道されました。

 悪ガキとホームレスが図書館という文化施設で対立したという部分に興味をひかれ、しばらく丁寧に事件記事を追ったことを覚えています。
 もちろん少年事件ですから大した情報が集まったわけではありません。けれど話を聞いているうちに、私の中にある物語が浮かびました。それを認めたのが、次の文章です。

 18年前のものですが、当時の私の戸惑いが鮮やかに浮かび上がってきます。子どもはどこまで残酷になれるか分からない――。

【ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語】

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 ねえ刑事さん聞いてよ、酷いと思わない。
 もちろん人殺しは悪いことだしその前の「人を殴る」ってことだって悪い。そんなことは分かっている。でもそれ以上に悪いことだって世の中にはたくさんあるよね。

 例えばね、今度のこともたまたま死んでしまっただけで、最初から殺すつもりなんてなかった。言ってみれば事故のようなものなんだ。そんなの、本当の「悪い」ってこととは違うと思うんだよ。
 事件の始まりを見れば分かると思うけど、まず図書館の係りの人が、そして次に「あの人」がボクたちの心を傷つけた。
 最初仕掛けたのは向こうなんだよ。
 それは確かに、図書館で騒いだボクたちも悪かったけど、あんな叱り方ってないよね。
 ボクたちが怒るのも無理ないでしょ?

 マ、係の人ならそれが仕事なんだからしかたないけど、「あの人」なんて関係ないのにシャシャリ出て来て、偉そうに注意したりして、いったいどういうつもりだったんだろう?
 そういうのって、ちょームカツクと思わない?

 で、ボクたちはボクたちの心を傷つけた「あの人」に謝ってもらおうと思ったんだ。
 けど「あの人」頑固でサ、絶対に謝ろうとしないんだよ。
 そういうのもムカツクよね?
 むかつくボクたちの気持ち、分かるよね。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ねぇ、でもさあ、「あの人」どうして死んじゃったのかな。

 ボクたちも途中でやめればよかったのかもしれないけど、死んじゃうなんて酷すぎるよね、
 これじゃあ、ボクたちの人生台無しだよ。

 ねぇ、ボクたちこれからどうなっちゃうの?

 あの人、ホームレスだったんでしょ?
 ボクたち、まだ14歳なんだよ。

(『ああ言えばこう言う辞典』「童話2000」《PCサイトのみ》より)