カイト・カフェ

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「理解はできないが、その思いと誠意は尊重できる」~明日は2・26  

 明日は2・26事件の起こった日だ。
 私はそうとう熱心に調べたことがあるが、共感できるところはなかった。
 しかし思いは尊重できる。
 そしてこの国を、その思いにふさわしい国にしなくてはならないと思った。

という話。f:id:kite-cafe:20220225065634j:plain
(写真:フォトAC)
 

【2・26事件】

 明日2月26日は「2・26事件」の起こった日です。今から86年前の1936年に起こったこのクー・デター未遂事件は中学校レベルで、
「政府の方針に不満をもった陸軍の若手将校が、約1500名の将兵を動かして政府の重臣4名他を殺害するとともに、4日間に渡って首都中心部を占拠した事件。その後クー・デターの恐怖は政界に影を落とし、軍部の発言力がさらに増すこととなった」
と説明されます。

 中学校の学習としてはこの程度にとどめるしかないのですが、教える側としてはもう2割増し程度には学習をしておくべきかもしれません。不満を持ったら大臣を殺して替わりを入れればいいといった単純なものではないからです。

 

【事件を起こした人々】

 1936年当時の日本は7年前の世界恐慌の影響から脱出できず、企業は次々と倒産して街には失業者があふれていました。農村でも農作物価格が下落し、都市からの帰農者も増えて生活は日ごとに苦しくなります。次男以下の男子は軍隊に入り、女子の中には売春宿に売られる者も出てきます。一方、財閥と呼ばれる巨大企業グループは財を膨らませ、政府の中には財閥と一緒になって汚職をする者も目立ってきます。

 陸軍はこの状況に深刻な危機感を持ちます。軍隊の底辺には貧しい農村出身の兵士がいくらでもいましたから状況の悪化は刻一刻と伝わってきます。また1931年の満州事変以来、中国東北部の運営もうまく行っていませんでしたから、なんとか影響力を増して政府を動かしたいと考えたのです。

 政府を何とかしたいという思いは陸軍内部の共通のものでしたが、方法論の違いによってこのころまでに2つの派閥が形成されます。「統制派」と「皇道派」です。
 前者は既存の政府システムを使って軍の意思を政府に反映させようとする人々で、後者は後醍醐天皇のような天皇親政(天皇による直接統治)を目指した人々です。

 実際のクー・デターを指導した皇道派青年将校の論理は明快でした。天皇は臣民の幸福を一心に祈って無謬である。自分たちも至誠の心をもって国民の幸福を追求している。それなのに政治がうまく行かないのは、天皇と自分たちの間に挟まる政治家たちが、天皇の意思を曲げているからに違いない。したがって彼ら奸臣を廃し、適切な人材を入れれば素晴らしい親政が行われるに違いない――そう考えたのです。なんと初心なことか。

 

【事件の終了】

 企ては彼らが信頼して止まなかった天皇その人によって封殺されます。陸軍上層部は何とか皇軍相撃つ状況だけは避けたいと妥協の方向に動いたのですが、天皇は「私が最も頼みとする大臣達を悉く倒すとは、真綿で我が首を締めるに等しい行為だ」「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」と激しい剣幕で、取りつく島がなかったのです。昭和天皇が意思をはっきりとさせ、直接、政治を動かしたのは、この時と終戦の時だけだったと私は教わりました。
 決起軍はその瞬間に反乱軍となり鎮圧されます。

 2名がその日のうちに自決。指導した他の将校19名と民間人2名が死刑になり、その他多くが無期懲役などの重い罰を受けることになります。何も知らずに参加した兵たちも、のちに繰り返し激戦地に送られ、平均をはるかに超える死者・負傷者を出すことになりました。

 

【理解はできないが、その思いと誠意は尊重できる】

 私は大学の卒業論文のテーマが天皇制でしたので、2・26事件についてかなり突っ込んで勉強しました。しかし事件を起こした青年将校たちに対する一片の共感も生まれません。多くは時代の制約によるもので、戦後生まれの私と、まさに軍国主義の真っただ中で育った将校たちが思いをひとつにすることはできないのですが、それにしても遠い。愚かな人たちとも思いませんが感じ方・考え方はどこまで行っても平行線です。

 ただし私はこんなふうにも思うのです。
 感じ方も考え方も理解できないし共感もできないが、国や国民を思うその気持ちだけは尊重できる。自分たちの大義のために命を投げ出した、その真摯な思いと誠実さは大切にしたい。

 歴史というものはさまざまな思いや犠牲の上に成り立っています。2・26の将校ばかりでなく、戦争では多くの若者が国と国民のために進んで命を差し出しました。私がいつも思っていたのは、そうした人たちに恥ずかしくない国をつくらなくてはいけないということです。そうした人たちが命を投げ出すにふさわしい人間を育てなくてはいけない――。

 いま自分の半生を振り返ると、ここにも大きなやり残しがあります。半ば手遅れですが、もう一度、心にしまい直そうと思います。