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「上村くんは何をしようとしていたのか」~川崎市中1男子生徒殺害事件再考

 思った通り金曜日に容疑者三人が逮捕され、上村君事件は一歩コマが進みました。
 おかげで土日のニュースおよびニュース・ショウはこの事件でもちきりで、いくつかの新事実も出てきます。その中で、一カ月の前の暴力事件の際に上村くんの友人が容疑者少年宅に押し掛け、抗議をして警察沙汰になったという記事が目を引きます。
 これだけだと正義の士(または正義のグループ)が上村くんの背後にいたように見えますがおそらくそうではありません。いわばチンピラ・グループの抗争のようなものですこの子たちは年中ケンカを繰り返していますが正義の仮面をかぶった時にはより強く出てきます。どんなくだらない抗争でも大義名分はあった方がマシなのです。
 ただこのことは、抗議された側を傷つけます。大義が向こうにあるからです。特に上村君は容疑者少年の、いわば舎弟で特に可愛がられていた子ですからその子に裏切られたという想いは当然、復讐を指示します。仕置きをしなくてはなりません。今回の事件の背後にあったのはそうした心の動きだったと思われます。
 よく「いじめ問題に大人が出ていくとさらにイジメられる」と言いますがそれも基本的に同じ論理です。子どもの世界の話を大人社会に知らされたことで「悪者扱い」された加害者が、”被害者意識“をもって復讐するわけですからやり口は過酷になります。
*この、加害者の内部にある”被害者意識“、加害者の持つ“主観的正義”というのはイジメや暴力事件を考えるときに重要なカギだと私は思っています。

 上村君はその辺りの事情を理解していませんでした。ニュースの扱いでは上村君がグループを抜けたがっていたという面ばかりが強調されますが、常にそうだったわけではありません。人間関係は常に流動的で揺れているのです。もしかしたら上村君にとって、最善のことはグループを抜け出すことではなく、仲間に入った初めのころのようにリーダーに可愛がられ楽しく日々を送ることだったのかもしれません。だから彼の方から「先輩、遊びません?」などと声をかけていくのです。
 しかしそれは18歳の首謀者少年に対してではなく、同時に逮捕された17歳少年に対してでした。それが致命傷です。首謀者少年の立場に立てばよく分かるのですが、自分を差し置いて仲間の少年に声をかけるのは同じグループにいながら自分を無視する行為、さらに言えば組織の分断活動です。だから復讐は苛烈を極めます。

 こうした事件は実は古典的で、常に繰り返されてきたものです。非行グループに属する生徒を更生させようとするときの最後のハードルがそれで、円満な脱退というのはめったにないのです。
 子どもには子ども社会の論理やルールがあります。非行グループに非行グループなりの論理も約束もあります。
 今回の事件では上村君の状況を知る子どもたちの、誰一人もそれを大人社会に通報しなかったことが問題とされました。多くはそれを親や教師の怠慢として捉えていますが原理的に無理です。
 子ども社会のできごとは安易に大人に知らせてはならない――それはいつの時代でも、どんなグループについても言える、自然発生的な、そして強力なルールだからです。