「モンスター」~津久井やまゆり園事件の話③

 相模原事件の植松容疑者について、
「ヤツは特殊な人間、いわばモンスターだから殺してしまうしかない。死刑でけっこうだ」
 そう言ってしまうと彼と同じ論理にはまりこむことになります。しかしそうではありません。
 私は彼を特別な人間、言ってしまえば“モンスター”だと思っていますが、それは彼が私たちと同じ普通の感覚の持ち主でいわば私たちの代表(もしくは私たちの突出した一部)である、という考え方に絶対に賛同できないからで、だから殺していいという話にはならないのです。

 しかしなぜそんなことにこだわるのか――。
 それは、彼が私たちと同質の人間であると考えるか、そうでないかによって、以後の対応が異なってくるからです。
 例えば前者だっ他場合、障害者に対する社会全体の見方・考え方を問い直しこれを変革するよう働きかけなければならなくなります。第二・第三の植松容疑者は必ず出てきますから施設の防御も厳重にしなくてはなりません。
津久井やまゆり園」の場合、非常に整った警備システムがあり、防犯カメラも増設されていました。警備員に情報が届いていなかったという落ち度はあったものの、植松聖という元職員が危険な思想をもって近づいているという情報は職員の中で共有されていました。それにもかかわらず襲撃を回避できませんでした。
 普通の施設ではありえないほど厳重な体制をとっても防ぎきれなかったものを、日常的に、何十年にも渡って防ぎきるのは容易ではありません。しかしできるだけのことはしておかなくてはなりません。

 けれど後者――植松容疑者のような存在は特殊であってめったに現れるものではないと考えると、前者のような厳しい防御体制は構築する必要がありません。今までと同じように、普通の警備で十分ということになります。施設は本来の仕事に専念していればいいだけです。
 そのかわり社会の中で、植松容疑者のような人間にどう対処するのかという課題が生まれます。特に障害者施設ということでなく、大量殺人を計画する人間が発見された場合どう対処するのかということです。

 もっとも大量殺人の企図といっても今回のような場合もあれば、秋葉原事件のような例もあります。オーム真理教のような事例もあれば、今後は国際テロのようなことも考えていかなければならないかもしれません。
 ところで植松容疑者というのはどのような人間だったのでしょう。
 精神科医香山リカさんは「手紙の内容から従来の精神疾患を読み取るのは難しい」と結論付けた。
と言います(時事通信8月1日)が、とても信じられないことです。
 彼は50分にわたって40数人の首や頭を一人ひとり刺していったのです。逮捕されてからの謝罪も、
「今回の事件に関しては、突然のお別れをさせるようになってしまって、遺族の方には心から謝罪したいと思います」
と十分な時間を与えなかったことに反省の様子は見せれも、殺したこと自体は悔いていません。自分のしたことは障害自身にとっても家族にとっても、そして施設職員や国家にとっても良いことであり、ただひとつ瑕疵があったとすると、それは別れを告げる十分な時間を与えなかったことだけだと信じているのです、今も。
 そんな「普通の人」がこの世に存在するわけがありません。ましてや彼が私たちの代表者などということがあるはずはないのです。

 だったら彼は何だったのでしょう?


(この稿、続く)