(アントニオ・デ・ペレーダ 「ヴァニタス」)
2年前、横浜市の病院で点滴に消毒液を入れられて二人が亡くなった事件の容疑者が逮捕されました。本来ならもっと大騒ぎになるところですが、「西日本豪雨」や「オウム麻原、死刑執行」の陰に隠れて扱いはかなり控えめでした。
社会的影響力を考えると当然そうあるべきですし、今後、尋問の過程でさまざまなことが出てきますから、今慌てて報道することもないでしょう。私もここで焦って取り上げる理由はないのですが、一部の報道で流れている容疑者の動画を見て、
「あれ? この娘、知ってる」
と、そんなふうに思ったので、そのことだけを記しておきます。
【私の知っているあの子】
もちろんこの容疑者と直接の知り合いであるわけではありません。しかしあの、全く力を感じさせないネズミのような小さな目、ちょっとすぼめた感じの唇、おどおどとした無表情、ただ歩いているだけでも周囲に小突かれているような肩を内側に寄せた歩き姿、そういったすべてに記憶があるのです。
そうです。どこの学年にも必ずひとりはいるような、影の薄い、ぼんやりとした女の子です。 同級生から見ると「いるかいないか分からないような子」、教師から見れば「いつも気になりながら、問題を起こすこともないので、ついに手を入れることなく終わってしまうような子」、そんな子です。
それでも小学校の低学年くらいだと担任の先生が気の利く子を呼び寄せて、「お友だちになってあげてね」とか言って仲を取り持ってくれるので何となく友だちもいる感じですが、小学校も高学年、中学校、高校と進むうちに友だちらしい人間はどんどん消えていき、気がつくといつも独りぼっち、そんな子はけっこうたくさんいます。
事実、事件のあった病院での同僚の評価は「ひとことで言って『人づきあいをしない人』」。
ひとことで済まされる人格というのもすごいですし、その内容が「人づきあいをしない(だから何も分からない)」というのも残酷ですごいな、と思いながら、しかし私の知っている子たちもそんな言い方をされているのかなと思ったりもしました。
あの子たちは今どんな暮らしをしているのか。
【いったいこの子は何なんだろう】
「自分の夜勤の時に死なれたくない」というのは分からないでもありません。誰だって「自分の時に死んで」などと思ったりしません。
看護師から養護教諭になった人に聞いたことがあるのですが、その人がまだ看護師だった時代、やはり夜勤の最中に患者が吐血して喉を詰まらせため、彼女はベッドに駆け上がっての両足を持ち、患者を振り回してなんとか息を吹き返させたといいます。本当に死なれたくなかった。
身長が150cmに満たない、とっても小柄な女性です。
同じ「死なれるのが嫌」でも、私の知る養護教諭は患者の息を吹き返させ、横浜の看護師は事前に殺してしまいました。しかも横浜の場合は、死なれること自体が嫌だったのではなく、「夜勤中に患者が死亡したときの遺族への説明が苦手だった」というその説明回避のための殺人なのです。
「説明が苦手だから殺す」という単純さ、その葛藤のなさに驚きます。
彼女はまた、「全部で20人くらいやった」「死んで償う、死刑になりたい」と言っているようですが、その現実感のなさにも違和感を持たざるを得ません。
いったいこの子は何なのでしょう?
このニュース、しばらく注視していきたいと思います。