カイト・カフェ

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「年貢の納め時とは何か」~米の話③

「米の話」は先週24日で終わりのつもりでしたが23日の分にコメントを頂いてありました。コメントをいただくなんてめったにないことなので見落としていました。申し訳ありません。そしてありがとうございました。

 2016/6/23 11:54
投稿者:たてやん
昔の日本人はどれくらいの米飯を食べたのかについてですが、江戸時代に関して江戸では一日5合食べていたかもしれませんが農村部では大分違うようです。江戸時代の人口分布と農村部の食生活に関する資料を張っておきます。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7240.html
http://history-nanokaichiba.life.coocan.jp/edosyoku1.html

 この日のブログ記事で、江戸時代の庶民があたかも飽食状態だったかのような書き方をしたので、このコメントはそれをやんわりとご指摘いただいたのだと思います。その通りです。

 私が小中学生のころ日本史はまだ封建制度全否定の時代で、例えば人々に自由はまったくなく、農民は奴隷のごとく虐げられていたといった学習をしていました。よく引き合いに出されたのが徳川家康の「百姓は死なぬように生きぬように」という言葉です。私は農民の子孫として非常に恥ずかしいというか不快でした。自分の祖先が地に這いつくばるだけのダメ人間のように思えたからです。しかもそれを子々孫々代々続けてきたのですから。
 私の体の中にもその血が流れています。
 ところがひとつの言葉が励みになって、ある時期から自分の中に流れる百姓の血を誇りに思うようになりました。それは、「年貢の納め時」という言葉です。

 もうここまで来たら見切りをつけすべてを諦めるときだという意味で、結婚を決断するときに使ったりします。元は悪事を働いた人間が刑に服することをいったようですがどうでしょう。よく見ると語の本来の意味は、
「いろいろ頑張ってきたがもう限界である、そろそろ諦めて年貢を納めよう」
ということです。
「年貢には納め時があって唯々諾々と払っていいものではない、とにかく頑張るだけ頑張ってみようとここまで来たがこれ以上やると城主(代官)も見過ごせなくなる、まあしゃあない。あとあと面倒なことになるのでこのあたりで払ってやろうか」
ということ、つまり年貢は一方的に奪われるものではなく百姓は領主と十二分に勝負しているたということです。

 毎年毎年、誤魔化したり隠したり、頭を下げたりぐずぐずしたり、慇懃だったり無礼だったりしながら、最後の最後まで直接交渉する。どこに今年の「年貢の納め時」があるのか、必死で探りながら領主と妥協点を探していくのです。何と誇らしい姿でしょう。それでこそ我が祖先、私の中に濃く流れる百姓の血の成せるワザです。

 それ以来私は、江戸時代の百姓は十分に食っていた、あるいは飽食なほど食っていたという方向で資料を探し、授業をするようにしてきました。
 例えば「農民に『生かさぬよう、殺さぬよう』といったギリギリの生活を強いて、果たして農業生産が上がっていくものか。それよりも農民に腹一杯食わせてそのぶん働いてもらう方がいいのではないか、そう考える領主はいなかったのか」とか、「およそ2500万人の農民が生産した3000万石の米を五公五民で半分取り上げた場合の税収は1500万石。それを500万人の武士・町人・その他が消費する。1500万人分の米を500万人が受け取ったらどうなる?」
といったことです。
 いわば江戸時代のグローバル経済についてグイグイ押していくわけでそうなると地方と都市、大名領と幕府領といった繊細な問題は忘れられてしまいます。
 もちろん忘れていい話ではないのですが――。

(この稿、続く)