カイト・カフェ

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「先生たちはバカなのです」5 〜マイ・レジューム

「先生たちはバカなのです」とあまり繰り返して言うと本当にバカだと思われてしまいかねないので、学校が理解されない例をもうひとつ挙げて終わりにしたいと思います。それは「三角食べ」です。

「三角食べ」というのはWikipediaによると、
「和食を食べるときに飯と味噌汁とおかずを“順序よく食べる”方法のことである」
と説明されます。しかしWikipediaのその後の記述には驚くべきものがあるのです。

「具体的には、パン→牛乳→おかずなどのような一方向のみに食べることが児童生徒に強制された。従わない子には体罰も行われ、管理教育の手段にもなった」

 Wikipediaは素人の書くものですから権威があるわけでも正確なわけでもありません。しかしこの記述が訂正されることもなく今日まで残っているところを見ると、一部の人たちはこの意味が理解できたり納得できたりしているのでしょう。ただし私にはまったくわかりません。

 ひとつは「三角食べ」が体罰をしなければならないほどの重要な指導内容だったのか、実際に体罰を行った教師がいたのかということです(ひとりいれば「いた」ことにはなりますが、ここで問うているのはそういうことではありません)。
 もうひとつは「三角食べ」を強制すると管理教育に寄与することになるという意味が理解できないのです。不条理なことを強制し続けることによって、人間は管理に易々と従うようになるといった意味でしょうか?

 私自身は「三角食べ」という言い方こそしませんでしたが、それに似た指導は行ってきました。理由を知りたければ4月・5月の小学校1年生の給食風景を見に行けばいいのです。そこには給食の時間が終わったにもかかわらず、特定の食材と睨めっこをしている子どもが確実にいるからです。
 ご飯も味噌汁も牛乳もそして主要なおかずもすべて食べ終わって、苦手なナスだけを残して途方に暮れている子、ほとんど箸の付いていない白米だけが残っている子。

 苦手な食材など、本当は口の中でご飯に包み込むようにして飲み込んでしまえばいいのです。どんな味もご飯で薄めてしまえば何とかなります。最悪、味噌汁で流し込んだっていいのです。そうこうしているうちにいつか食べられるようになります。
 それを嫌いなものだけ残して最後にまとめて食べようとするのですから難しいのです。しかし白米だけとなると私だって容易に食べられません。

 そう言うと「ナスくらい食べられなくたっていいじゃないか、それを強制するから学校に来られなくなる」などとおっしゃる方も出てきます。もちろんナスくらいならいいのです。私もひとつくらい食べられないのは個性として認めてきました。
 しかしその“ひとつ”が「野菜」だったり「魚介類」だったりすると厄介です。中には「硬いものは苦手」という子がいて、その子が食べられない“硬いもの”は「ご飯と野菜、肉とお魚」だったことがあります(ちなみにこの子によって、私は麺類とシリアル、ホットケーキ様のものとお菓子だけで生きている子の存在を知りました)。この子は将来にわたってこのままでいいのでしょうか?

「三角食べ」というのは要するにご飯やおかずをバランスよく食べさせるための便宜的な指導なのです。小学校1年に向かって「あちこちのおかずや汁をバランスよく食べなさい」といったって何をしたらいいのかわかりません。どんな手順で行ったらうまくいくのか分からないのです。そこで「三角で順番に食べなさい」と言って具体的な動きを伝えます。それが「三角食べ」です。

 教師は子どもが将来、気持ちよく食事のできる子になってほしいと思っています。宴会で出された料理の半分も食べられない(私がそういう人間でした)のではかわいそうなのです。いびつな食生活の結果、一番の働き盛りで家族からも必要とされる時期に大きな病気に罹るようでは(私がそうでした)切ないのです。

 教師はそんなふうに温かい目で子どもの将来を見ている――そういう前提の理解できない人には、「三角食べ」も「従わない子には体罰も行われ、管理教育の手段にもなった」おそろしい指導と映るようです。

(この稿、終了)