カイト・カフェ

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「残食0%は目指すべき目標か」〜学校給食の話③

 環境省が把握している学校給食の残食率(給食の、提供量に対する残された量の割合)は、把握できている全国約3割の市区町村で平均6.9%でした(JBpressの記事より)。これは克服すべき課題なのでしょうか? 残食率0%は目指すべき目標でしょうか?

 評論家の尾木直樹氏なら即座に「ノー」と答えるでしょう。
「完食はいかがでしょうか? 食事の押し付け 楽しい食事奪うことにならないでしょうか!? 完食は精神的な虐待になりませんか・・・」(上記の記事より)。
 別な立場からも残食率0%はありえないと考える人たちがいます。残食がないということはもしかしたら量が足りていないかもしれないと考える人たちです。したがって残食ゼロのクラスがあると残食が出るまで量を増やして行ったりします。一定量の残食が出ないと落ち着かないみたいなのです。
 しかしどちらも間違っています。

 尾木直樹氏に対して言えるのは次のようなことです。
「学校給食というのはそれぞれの年代で必要な栄養・カロリーを細かく計算した上で出しているものです。それを完食しなくていい、というのはその子たちは栄養不足でも構わないということに他なりません。
 実際、例えば残食率30%の学校があるとして(昨日の北海道浦河町の“協力校”のような例)、その場合児童生徒の全員が同じように30%ずつ残しているのではありません。中には放っておいても完食してしまう子どもがいるのです。その中のさらに一部はお代わりまでして残食削減に協力しています。それにもかかわらず30%も残食が出るということは、他方にほとんど食べない子がいると想定しなくてはなりません。

 私はかつて小学校の修学旅行に付き添い、朝食の会場で慄然として立ちすくんだことがあります。6年生の女子の一部が申し訳程度の野菜サラダとオレンジジュース、そしてバナナ一本でバイキング朝食を済ませてしまうのを見たからです(慄然としたほんとうの理由はその朝食が1食1700円もすることを思い出したということもあります)。
 その子たちにもっと食べろというのはもちろん「食事の押し付け」です。言えば当然「楽しい食事を奪うこと」になります。
 尾木先生、それでも私たちは黙っていなければならないのでしょうか?

 もちろん学校では食べないが、家に帰ると非常に几帳面なお母さんの細かに栄養計算されたおいしい食事が待っていて、朝夕十分に食べているということであれば別です。日本の家庭がほとんどそうだとしたら学校給食1食くらいはフイにされたところでどうということもありません。しかし実際は忙しさに取り紛れ、『栄養のことは学校にお任せ』と言わざるを得ないお母さんたちがいくらでもいるのです。せめて学校給食くらいきちんと食べさせなければ、その子の将来も日本の将来も、ともに心配になります。そうでしょう?」

 後者の「残食が出ないというのは量が足りていないからかもしれない」とお考えの方へはこう言います。
「安心してください。足りてますよ。
 心配なら先生たちに給食指導を止めてもらえばいいのです。『お腹がいっぱいになった残してもいいよ』と宣言してもらい、あとは余計な口出しをしないで三か月くらい待ちます。なにしろ1700円払ってバナナと申し訳程度のサラダとオレンジジュースで済ませてしまう子がいくらでもいるのです、1食300円程度の学校給食なんてどんどん捨てられてしまいます。
 指導しても残食率30%という学校もあるのですから指導しなければ50%も夢じゃない。しかも残食として出てくるのは食べにくいものばかりで、糖質ダイエットブームの今ならパンやご飯がガンガン捨てられてくるでしょう。野菜も食べにくいから通って行かない。そのくせちゃっかりお肉だとかデザートだとかは完食される。そんな状況にあなたは我慢できますか? もっとも三か月もそんな事態が続けばもとにはぜったに戻りはしないのですが――」

 確かに世の中には小食な子もいれば、私がレバーを食べられないようにナスが苦手、シイタケが食べられないといった子もいます。食事の好き嫌いはまったくないのが理想ですがひとつくらいは個性として認めてやってもよいでしょう。その上で(小食な子は全体量を減らし、どうしても食べられないものがあればその一種類を極端に減らし、ということをした上で)、クラス全体あるいは学校全体の残食を0%にすることは決して不可能ではありません。絶対できます。しかも大した苦もなくできます。
 私にできたのですから。

(この稿、来週に続く)