カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「教員生活の始まり」〜マイ・レジューム

 汚い仕事をしているうちに組織が腐り、人間が腐っていく、その様子を目の当たりにしなければならない状況から、一変して善人が善意だけで動かしているような学校という場に移ると、世の中は全く違ったものに見えてきます。
 私はほんとうに幸せでしたし、教職というこの世界で、一生誠実に、きちんと生きていこうと決心しました。

 周囲からも「これからはTさんのように、一般社会を経験してきた人が教育の中核にならないとね」とか、「やはり社会を見てきた人が新しい視点で学校を変えていかなくちゃ、教育は成り立たないのかもしれない」などとおだてられ、意欲も十分でした。
 30歳にもなっていますから他の初任者と同じであってはいけません。それに学習塾の経験がありますから“教える”ということに関してはアマチュアではありません。教育実習も難なく潜り抜けてきましたからそれなりの自信はありました。
 私は社会科が好きで社会科にほれ込んでいましたから、社会科教育でこの世界に新風を吹き込んでやろう、そう張り切っていたのです。
 しかし私の考えていたことはすべて間違っていました。

 確かに“教える”ということには多少の経験はありました。しかし“育てる”ということに経験もなければ意識もありません。“教える”と“育てる”は「教育」の両輪であって、片方だけで動くということはあり得ません。さらに進んで言えば、“育てる”は“教える”よりも何十倍も重要で、“教”などなくても“育”さえあれば、子どもは自分でどんどん成長していってしまいます。
 学校のことなどほとんど知らない分際で、「新風を吹き込む」などほんとうにおこがましいことでした。学校教育は経験知の世界であって、そこには言語化されない様々な仕組みがあって、まずはそれを尊重しなければ始まらなかったのです。なぜそうするのかわからなくても、「古くからおこなわれていることには何らかの意味があるのかもしれない」と畏れなければならなかった、それを片端無視して新しいことをやろうとすれば簡単なことも簡単でなくなります。
 そもそも「これからはTさんのように〜」といった話も“おだて”ですらなかったのかもしれません。30歳というトウの立った初任者と会話を始めるのに都合のよい糸口だっただけなのかもしれないのです。

 30歳で教員になったという意味は、社会を経験して十分成熟しているというとらえ方もあれば、融通が利かないというとらえ方もできます。そして現実の私は、30歳になっているから遠慮されて必要なアドバイスも得られない、30歳になっているので自分自身が中学生だったころに受けた教育の具体的姿を思い出せない、つまり一から十まで暗中模索ととった悲劇的な状況にあったのです。

 クラスが曲がりなりにも何とかなっていたのは最初の一か月だけ。5月のゴールデンウィークが明けると荒廃の一途をたどりはじめます。
 担任として出した指示が通らない、必要な生徒の活動が滞る、教室の具体的風景が明らかにすさんでくる、そしてついには深刻ないじめ問題が発生するのです。

(この稿、続く)