「結局、何をやっても教師がアホ、教師が悪い」~ランドセルの何が悪い!①

 「さんぽセル」という不思議な道具がメディアを闊歩している。
 ランドセルがキャリーバッグになるのだという。
 ネット上は議論百出・百花斉放。
 そして結局、学校が悪いのだという結論に至った。

という話。

(写真:フォトAC)


【「さんぽセル」の話】 

 私はそれほど気の短い方でも苛立つ性格でもないと思うのですが、それでも年に数回、自分の気持ちが抑えられずに、数時間イライラを続けて苦しむことがあります。梅雨入りもあってのことか、今日はそうした珍しい一日で、部屋で一人、何かを投げつけたい気持ちでじっと我慢していました。

 直接のきっかけはランドセルです。
 栃木県の小学生がタイヤの着いた二本のスティックをランドセルに装着し、キャリーバッグのように軽く運べる装置を開発・発売、それがYahooニュースに掲載されたところ、1000件を越える大人に批判が寄せられた、というのが事の発端のようです。
 そうした批判にマスメディア・ネットメディアは激しく反発し、尾木ママだのマツコ・デラックスだの安藤優子だの千原せいじだのを次々と繰り出して、ランドセルに固執する人々を「日本では未だに、根性論でしょうか? 情け無い限りですね」(尾木)などと揶揄する状況が生れました。
 それでもランドセル派は屈せず、賛否両論の応酬を繰り返すうちに、議論はそもそもランドセルが重すぎる、いや重いのはランドセルの中身で、あんなものは学校おいておけば(置き勉)いいのに、教員たちは昭和の堅物ばかりで一向に改革の意思を見せない、いったいどうなってるんだ、という方向へ進んで、現在は学校と教員が矢面に立って「さんぽセル」賛成反対両派からの攻撃を受けている始末です。


【子どもたちに持たせてみればいいのだ】

「やっぱりな」
と私は思います。教育に関する論争は最後は学校と教育委員会文科省を批判して終わりにすれば、万民が矛を納めて納得してくれます。

 私に言わせれば「さんぽセル」なんて、さっさと普及させておしまいにすればいいようなものです。
 あんなもの、日本で一番、坂や階段の多い長崎の市立小学校で使わせればあっという間にケガ人続出です。重いキャリーバッグで階段を上り下りすることがいかに大変かは、一度でもあれで旅行した人ならすぐに分かるはずです。かと言って長崎市内の通学路すべてにエスカレーターやエレベーターをつけるわけにも行かないでしょう。

 そもそも小学生があんなものを好きになるはずはないのです。なにしろ走れませんから。走ろうとすればすぐに振り回されてしまいます。
 直線だけならまだしも、激しく右左に動かなければならない場所でしかたなく重いバッグを抱きかかえて走った経験のある大人だって少なくないでしょう。子どもは走るのが大好きですから、キャリーバッグなんて好きになるはずがないのです。
 背負いカバンにもなるツーウェイ方式だそうですが、歩道橋を昇るたびにスティックを収納してカバンを背負い、下りたらまたキャリーバッグに戻すといった小まめなことを期待する人は、子どもを知らなすぎです。もしかしたら背負う子もいるかもしれませんが、その時はスティックを立てたままで、どこかに引っ掛けて転ぶのがオチでしょう。

 さっさと持たせて、さっさと終わりにしてしまいましょう。どうでもいいことです――と言いながら、どうでもよくないのは「昭和の堅物、いつまでも根性論に縛られるアホ教師」の問題です。


【結局、教師が悪いというところに話を持って行く】

 どんな場合も、結局、教師が悪いというところに持って行って話を納めるのがメディアの常套です。

 元々は教師の働き方改革、過剰労働の軽減といったところから始まった部活の地域移行問題も、今や、
「担当する競技に何の経験もない教員が顧問になることで、過剰な練習やそれによるケガ、体罰・いじめが横行する。そうした危険、過剰労働による教師の疲弊にも関わらず部活動がなくならないのは、結局、部活をやりたくて教師になったBDK(部活大好き教師)が抵抗勢力となって拒んでいるからだ」
という教員分断、同士討ちみたいなところへ進んでいます。BDKが日本の中学校の部活文化を創り固執している、中でもBDK上がりの校長が最も始末が悪い――。

 そこには部活動をやりたくてしょうがない生徒の姿も、部活で子どもを輝かせようと熱心な保護者の姿もありません。部活のおかげでよい人生が送れるようになったという大人の声も、部活を足掛かりに日本の競技スポーツを支えてきたと自負する人々の声も、全く聞こえてこないのです。部活動は今や”悪“そのものです。
 したがって部活動の地域移行は、危険で高圧的な教員から子どもたちを守り、健全な青少年スポーツへ移行させようという問題になっています。
いいでしょう。地域にそれを担えるプロが何人揃えられるか、見ていましょう。


【とりあえず教師はアホだというところから話を始めよう】

 思えば教育問題は常に思い込みとアホ教師論によって弄ばれてきました。
 
 私が教員になった1980年代、国語科の教師は、
「いまだに明治以来の音読に固執するアホ教師たち。今の日本のどこに声を出して文章を読む世界があるのだ。なぜ黙読の時間を削るようなことをするのだ?」
などと批判されたものでした。2001年に齋藤孝著「声に出して読みたい日本語」が出版されてベストセラーになるまでは、です。
 ところがしばらくしたら、
「学校はなぜ日本語の音のすばらしさを教えようとしないのだ。『声に出して読みたい日本語』では~」
となり、きちんと音読させない教師はアホ扱いとなりました。

 最近では「三角食べ」です。
 食器ごとひとつひとつ始末するように食べる片付け食い(ばっかり食い、ばっか食い)が問題になると急に「三角食べは日本古来の食べ方」だとか「すべての食材をまんべんなく食べられるためバランスがよい」とか「口の中でお米と副菜が混じり合うことで味のバリエーションが広がる」とかいって持ち上げられようになりましたが、つい最近まで教師の暴力の代表格でした。今日現在(2022.06.16)でもWikipediaには「三角食べの方法は過度の指導により管理教育につながっていた」とか「具体的には、パン → 牛乳 →おかずなどのような一方向のみに食べることが児童生徒に強制された。従わない子には体罰も行われ、管理教育の手段にもなった」とあります。
 *Wikipedia「三角食べ」

 教師からすれば「バッカ食い」の子どもたちは多くが最後にご飯を残す、味の薄いご飯だけでは食べられない(私だって食べられない)ので、結局給食を残すことになる、栄養士がきちんと計算した栄養価が摂れない、それが嫌だっただけのことです。バッカ食いの子は家では最後にご飯にしょう油や塩、ふりかけなどをかけて食べています。学校は障害や病気でもない限り、そうしたことで特別扱いはしません。

 こうしたことでは教師がいくら正しいことを訴えてもダメです。同じことを大学教授や外国メディアが行って初めて、正しいことが正しくなるのです。

 さて、ランドセルです。
 なぜあれはあんなにも重くなったのか。そしてなぜ学校は「置き勉」許さないのか――。

(この稿、続く)