「いのちのこと」2〜その始まり

 土曜日の朝、目を覚まして居間に下りると、シーナがパジャマ姿のまま椅子に腰掛けています。妻ならまだしもシーナがこんなに早く起きることはないので聞くと、昨夜10時過ぎからおなかが痛くなり、朝まで一睡もできなかったといいます。いよいよなのかもしれません。
 予定日より2週間も早いのですが病院からは“もういつ生まれてもいい”とお墨付きをもらっていますし、胎児も3200gを越えて心配になってきた時期なのでちょうど良かったともいえます。それにその日はシーナの夫が訪ねて来ることになっていたました。


 25年前、シーナが生まれた日も休日で、おかげで私は生まれたばかりの子をすぐに抱くことができました。同じようにエージュも生まれたその日にわが子を抱くことができるかもしれない、それはなかなか悪くない想像でした。
「生まれる前から親孝行な子だね。パパの来る日に生まれようとするなんて」
 私はそんなふうに声をかけます。シーナも痛みに顔をしかめながら頷いて見せます。

 私はそれから朝食を終えて仕事に向かいました。出産はまだ先と思っていたので、朝から仕事を入れてしまっていたのです。もっとも職場と自宅・病院の間は大した距離ではありませんから、いざとなったらそこから動いても間に合います。私は仕事をしながら、ウキウキとしながらその時を待ちました。
 ところがそれから一向に話がありません。二時間たっても三時間たっても連絡がない。そこでさらに十分に待ってから電話すると妻が笑いながら、10時ごろ痛みは引っ込んでしまい元の状態にもどってしまったというのです。なんとも拍子抜けの話でした。
 しかたなく私も腰を落ち着け、仕事が終わってからは懸案の理髪店にも寄って、その日はむしろゆっくりと帰宅しました。

 エージュは午後1番に家に着きました。しばらく休んでから退屈しのぎもあり、シーナと二人で家から一番近いショッピングモールまでの散歩に出たそうです。一番近いと言ってもいつもは車で往復する場所です。見通しの持てるシーナはまだしも、地理不案内のエージュには思ってもみない長さでほんとうに面食らったようでした。

 なぜそんなに長い散歩に出たのか――。
 実はシーナは焦っていたのです。このまま月末の予定日まで引っ張ると、胎児がどれくらい大きくなってしまうかわかりません。体の小さなシーナには負担が大きいので、その場合は帝王切開も考えなければならないと医者から言われたのが気になっていました。少しでも運動しておいた方がいい、できれば今日中に生んでしまいたい――後から考えるとそんな焦りが事態をさらに難しい方向に進めていたのかもしれません。

 夜、再び強い痛みが始まります。今度こそはと思って入院支度をし、シーナとエージュは私の車で夜の病院に向かいました。
 その夜の産婦人科はてんやわんやの状態でした。子どもはなぜか一斉に生まれるのかもしれません。苦しむシーナを横に、だいぶ長く待たされた検査の結果は、
「まだ十分に子宮口が開いておらず、生まれる段階ではない」
 またもや拍子抜けです。
――でも夜も遅いし不安なら今夜は泊まっていってもいいですよと言われ、シーナは病院に残ります。今夜の出産はない。しかし何とか明日中に生まれればシーナとエージュは一緒に喜びを分かち合える、そんな望みを抱いて私は病院を後にしました。けれどそれは長い長い時間の始まりに過ぎなかったのです。 

                              (この稿、続く)