娘のシーナが子を産みました。私にとっては初孫にあたる男の子です。とは言っても昨日今日のことではなく、3ヶ月前のことです。少し落ち着くまでということで、今日まで書かずにきました。
シーナは昨年2月に入籍し、姓も変えて夫のエージュと都会でマンション暮らしを始めていました。小さなころから「一番の目標はお母さんになること」と言っていたような娘ですから、すぐにでも赤ちゃんがほしかったのですが、式が9月にずれ込んだためそれまでは妊娠しないよう気をつけていたのです。
計画通り、式が終わるとすぐに妊娠できたのは、やはり25歳という若さもあったし、なによりこの子が引き寄せた強運だと私は思っています。
シーナは常に誠実に、一生懸命生きてきた子です。こんな子の願いを神様がかなえないはずがないと思っているのです。
思えば娘の半生は今日まであきれるほど順風満帆でした。望んだ高校に進学し、一浪したとはいえ第一志望の大学に進むことができ、教員採用試験には一回で合格し、良い職場に恵まれ、好きな人と結婚し、妊娠したのです。これ以上の幸せはありません。
ドイツ語で“彼女は幸せとともにある”といえば“妊娠している”という意味だそうですが、シーナはまさに幸せとともにあったのです。
しかし妊娠と出産というのは、そう簡単に進むものではありませんでした。
小さなことで言えば、たとえばまだ妊娠6ヶ月のころ、「検査の結果についてお知らせしたいことがあります」と病院からの連絡が留守電に入って驚かされたりします。結局は「母体に風疹の抗体がほとんどないので感染しないように注意してください」――その程度の話だったのですが、勤務中で折り返しの電話ができないために、かなり神経をすり減らしたようです。
里帰り出産のために実家に戻って最初の検診では、予定日までまだ一ヶ月もあるというのに胎児が2800gもあって不安にさせられます。シーナはとても小柄な子で、赤ちゃんが大きくなりすぎると帝王切開に頼らざるを得ないと脅かされていたからです。
さらに次の検査では「胎児は元気だが母体に問題がある。心臓に弁逆流がある」とか言われて肝を潰します。ずっと健康な子で自分の体に問題があるなど考えてみたこともありませんでした。これからは赤ん坊と同時に自分の体の心配もしなければならない、そんなふうに覚悟したそうです(結局これも小さな母体の中で育ちすぎた胎児が心臓を圧迫し、多少変形させているからだろうということで収まりました)。
そんなふうに小さなつまずきはありましたが、基本的に、私は心配していませんでした。シーナの運勢を確信していましたし、妻の出産の記憶から娘もそう苦労せずに産むことができると思い込んでいたからです。
(この稿、続く)