「学校の(痛)快談」〜(goo)今では信じられない!昭和の常識ランキング 2

【今では信じられない昭和の常識】

 9月25日のgooランキング「今では信じられない!昭和の常識ランキング」で特に上位に挙げられたのが学校に関する項目でした。

  8位 部活中などに水を飲んではいけない 98票
19位 学校で先生にゲンコツやビンタされても問題にならなかった 63票
20位 学校給食に鯨肉が出ていた 62票
21位 給食にご飯がなく、パンかソフト麺だけ 60票 
22位 真冬に小学生が男女問わず上半身裸で乾布摩擦 59票
44位 牛乳に溶かして飲むミルメークが給食に出ていた28票
48位 小学生のなりたい職業として野球選手の人気が高かった 19票

 ただし「今では信じられない」となるともっと驚く項目はいくらでもあるはずです。
 例えば、
「中学校の男子は校則で全員丸刈りだった」
とか、
スカート丈に決まりがあって毎週先生が物差しを使って測っていた」
とか、
「体育の授業の前には男子が教室内で、女子は廊下で着替えていた」(*1)
とか、
「日直当番はストーブに火をつけるための薪をもって登校した」
とか。

 あるいは、
「カレーには肉の代わりに鯖缶のサバが入っていて、お椀の中で細かな銀のウロコがキラキラ光っていた」
とか、
脱脂粉乳という生暖かく中途半端に甘いミルクが毎日出され、とんでもなく不味いのでお代わりをすると英雄だった」
とか――。
(*1)三番目の着替えについては、男子の場合、ズボンを脱いで一瞬パンツ姿にならなければいけなかったため。女子はスカートの下で運動ズボンに着替えればよかった。上着は頭から被って、その下から見事にブラウスを引き抜いた。

 しかしそうした極め付きのものが載ってこないのは、やはり選択肢を作成した人の限界なのでしょう。印象としては30歳代の担当者が、自分自身の経験と他人から聞いた話を混ぜ合わせて出した、といった感じ。
 「学校給食に鯨肉」が出たり「男女問わず上半身裸で乾布摩擦」をしたりしたのはものすごく昔のことですし、ミルメークを給食に出ていた」なんて昭和も最終盤のことです(昭和42年発売。ただし全国に広まるには少し時間がかかった)。
 そもそもミルメークは今はないのか?」という問題もあります。

  考えてみると昭和は64年(元年と64年はそれぞれ一週間しかありませんでしたから実質的には62年)も続きましたから一言でくくるのは厄介なのです。 

【昭和中期・後期】

 昭和20年までの学校と以後の学校が違うことは誰でも想像できます。では後の44年間はおおむね似たようなものだったかというとそうではありません。何となくではありますが、昭和50年までの30年間(*2)とあとの14年間とでは、ずいぶん雰囲気が違っているように感じるのです。学校ばかりか社会全体が違っていて、学校はそれを反映しただけだと言えるのかもしれません。
(*2)この30年間も「戦後」と「ポスト戦後」で別れると思うのですが、私が子ども過ぎて実感として分からないのです。

 具体的には第一次オイルショック(高度経済成長期の終焉)が昭和48年(1973年)11月。 「いい高校からいい大学に進学して、いい企業に入れば幸せになる」 と言えば今も昔も馬鹿にされますが、少なくとも高度経済成長期に「いい高校からいい大学に進学して、いい企業に」入れば“豊かになれる”ことは確実でした。電気冷蔵庫や電気洗濯機、自家用車や家が買えて、生活が楽になるというのは事実だったのです。

 努力すれば幸せになれる――必ずそうなるとは言えませんが、少なくともそう信じることのできる時代でした。それが昭和48年に突然終わった――。
 それと同時に私たち日本人の欲望にも、限界が来ました。「これが手に入れば幸せになる」といったモノやコトがほぼなくなったのです。

 電気冷蔵庫・電気洗濯機の普及率がほぼ100%になり、電気掃除機とカラーテレビの普及率が90%を越えたのは昭和50年(1975年)のことです(主要耐久財の世帯普及率の推移)。高校進学率が90%を越えて頭打ちになったのもこの時期でした。
 以後、時代はすっかり変わり、昭和の最終盤のバブル期も含め、頑張って何かを手に入れれば幸せになるという時代は二度と戻ってこなかったのです。
「荒れた学校」が穏やかになり、「登校拒否」という名で不登校が社会問題となり始めたのもこのころからでした。 

【誤解される昭和】

「今では信じられない!昭和の常識ランキング」に戻ると、 「学校給食に鯨肉が出ていた」「真冬に小学生が男女問わず上半身裸で乾布摩擦」は明らかに昭和50年以前の話です。

 クジラ漁は昭和41年(1966年)ごろをピークとして資源減少とともに次第に縮小され、昭和51年(1976年)には各水産会社ごとの操業はやめてしまいましたから学校給食に回ってくるはずもありません。

 ついでに言うと、もしかしたら「学校給食に鯨肉が出ていた」はものすごく高級な食材が食べられたという驚きをもってランキングされたのかもしれませんが、この場合の“鯨肉”はそういうものではありません。ものすごく固くて不味くて、半分以上は大きな塊のまま飲み込まなくてはいけない、そんなものだったのです。ちっともうれしくなかった。

「真冬に小学生が男女問わず上半身裸で乾布摩擦」も小学校の1・2年生までで、おそらく昭和40年代にはなくなっていたと思います(少なくとも私の住む地域では)。

 誤解といえば「部活中などに水を飲んではいけない」は部活に限ったことではありません。「運動中に水を飲むと疲れる」というのが当時のスポーツ界の常識で、学校ばかりか世間一般でも水を飲まないことが奨励されていました。
 伸身で行う腹筋運動やうさぎ跳びも、昔は常識だったのです。それだけです。

 ところで「給食にご飯がなく、パンかソフト麺だけ」はどういう思いでランキングされたのでしょう。 「パンやソフト麺だけでかわいそうだな」ということなのか、単純に不思議だったのか――。

 戦後30年近くもパンとソフト麺だけだった学校給食に、米飯が入ってきたのは昭和51年(1976年)のことでした。
 子どもたちにおいしいご飯を食べさせたいという(当時の)文部省の思いやり――ではありません。余剰米対策です。

 日本人の食生活の変化によって昭和40年代に米が余り気味になり、昭和45年(1970年)からは生産調整を行ってきたのですがそれでも間に合わず、古米・古古米処理の妙案として学校給食が注目されたのです。
 米飯給食を始めるには米を炊いて保管(保温)する施設が必要ですから、こんな事情でもない限り予算を回すはずはないのです。

 対米公約である企業の週休二日制を促すための学校五日制、ダイオキシン対策のための焼却炉の廃止、「タバコのない社会」推進のために学校敷地内禁煙――国が何かをしようというとき、まず学校を思い浮かべるのは今に始まったことではありません。

 「学校で先生にゲンコツやビンタされても問題にならなかった」
 私の中学校時代の同級生は先生に殴られて鼓膜を破られたり前歯を折られたり・・・さすがに隣のクラスの悪ガキが奥歯を折られた時には私たちもビビリました。
 やられた分くらいはやり返してもいいはずだと思って教師になった(冗談です)とたん、世はすさまじい勢いで体罰撲滅の方向に流れ始めて今に至っています。

 もちろん体罰なんかない方がいいに決まっています。しかし体罰という「有効な抑止力」を失って、私たちは途方にくれました。それに代わるものがなかったからです。

 平成以降の先生たちは、それを言葉だけでやってしまうのですから大したものです。

(この項、続く)