カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「昭和の風景」⑤

 朝ご飯が終わって家族が仕事や幼稚園に行ってしまうと、母は洗濯に取り掛かりました。「桃太郎」に「お婆さんは川へ洗濯に・・・」という部分がありますが本当に川に洗濯に行くのです。洗濯物を小脇に挟んで「たらい」と洗濯板を持って堤防の向こうの河原に行きます。
 近所の人たちもだいたい同じ時刻に出てきますから、楽しくおしゃべりをしながらの洗濯になります。

 昼食は母ひとりですから朝ご飯を温めなおして食べたみたいです。しかし夕食はそういうわけにはいきません。そこで午後は買い物ということになるのですがなにしろ冷蔵庫のない時代です。毎日買い物をして毎日食べきらなくてはならないのです。特に夏はそうでした。
 買い物から帰ってくると、朝と同じように薪に火をつけてご飯を炊くところから始めます。毎日毎日同じ生活です。

 しかしやがて、遅れた我が家にも文明が押し寄せます。
 まず台所に水道が入ります。
 石油コンロが入って七輪がなくなります。石油ストーブのようなものです。それは間もなくガスコンロに代わります。ガスはとても火力が強く、煮炊きはずっと便利になりました。
 しかし我が家の台所事情を決定的に変えたのはおそらく電気炊飯器でした。これで朝から薪を炊く生活は終わってしまったのです。さらにその電気炊飯器にタイムスイッチを接続すると、夜のうちに準備しておけば朝には炊けているという魔法のような生活が始まります。あんなに大変だったご飯の準備がとんでもなく楽になったのです。

 それから数年の間に、家に電気洗濯機や冷蔵庫、電気掃除機が入り込んできます。
 川で洗濯をする必要もなくなり買い物は一週間に一度ということがしばしば起きます。電気掃除機を使い始めてわかったことは、結局、箒で掃き出すという掃除はチリの半分も空中に投げ上げているのと同じだったということです。あれほど頑固で律儀だった父が、朝の掃除を怠けはじめたのにはほんとうにびっくりしました。掃除機を使えば、朝清掃など二日に一度でもいっこうにかまわないと気づいてしまったからです。

 高度成長期に日本中の家庭で起った「昭和の文明開化」ともいうべきこうした革命は、様々なものを一新してしまいました。
 例えば、電気炊飯器や冷蔵庫、電気洗濯機を手に入れたことで、母はどれくらいの時間を浮かせることができたか――これについ熱心に計算したことがあります。母と話しながらやったのでほぼ正確だと思うのですが、それはおよそ6時間半から7時間です。3度の食事の準備後片付け、洗濯や買い物に費やしていた無駄な時間がそれだけあったのです。
 ただしこの6時間半から7時間という余剰は、中途半端で非常にこまったものとなります。なぜなら「何もしないでいるには長すぎる」、しかし「勤めに出るには短すぎる」そういう時間だからです。結局パートタイム労働か、死ぬほど忙しいフルタイムかといった選択しかなくなります。その悩みは現在も続いています。
 テレビが家庭に入ることで、家庭生活も決定的に変わってしまいました。家族があらぬ方を見て食事をし会話をするという時代が来たのです。同じ屋根の下にいながら全員が横(テレビのある方)を向いて時間を過ごすということはそれまでは考えられませんでした。ラジオの時代であっても目は否応なく家族を追っていたからです。
「親の背中を見て育つ」というのはそういう時代だからできたことで、テレビが来て以来、背中どころか姿も見なくなってしまいました。

 (この稿、続く)