東池袋自動車暴走死傷事故の受刑者が死んだ。
人生の終着点が刑務所なのは無念だろう。
人間はしばしばどうしようもないミスをする。
だがその人間でなければできないこともある。
という話。(写真:フォトAC)
【事故と火事が怖い――もはや病気も怖くないが】
東京・池袋で乗用車が暴走し11人が死傷した事故で、車を運転していた受刑者が老衰のため亡くなったとニュースにありました。93歳だったそうです。*1何の罪もない若い母子を殺してしまったのですから過度の同情はできないのですが、同じ高齢者として、身につまされる面があります。
元通産省の技官で退職後はクボタの副社長もしていたという輝かしい経歴をもつ受刑者が、最期のときを刑務所で迎えるなどと、周辺の誰が想像したでしょう。犯罪を行ったわけでもないのに刑務所に入らなければならない例は重失火や過失致死傷などいくつかありますが、普通の生活をしている我々に一番可能性の高いのはやはり交通事故でしょう。
人生も終焉が近づくと病気も怖くありません。怖いのは事故によって他人の命を奪うこと、そして大きな火事で他人を巻き込むことくらいしかなくなります。オール電化にしてタバコもやめ、警報機も多く付けましたから火災の方はこれ以上打つ手がありません。交通事故の方は、起こしたくて起こす人なんかいませんから防ぐのは難しそうですが、夫婦どちらかが家を出るときは、ひとこと、「気をつけて」と声をかけて安全運転の意識を呼び覚ますようにしています。大して役に立たないかもしれませんが、スピードを上げようとか、「赤」直前の信号を走り抜けようといったときに、少しでも躊躇できるよう、声をかけておいた方がいいように思っているのです。
*1:池袋暴走事故 (2019年) - Wikipedia
【なぜ飲酒運転はなくならないのか】
昨日のネットニュースはまた、教員による二つの飲酒運転を取り上げていました。ひとつは部活の保護者と居酒屋やカラオケをはしごして深夜に逮捕された福岡県の中学校教諭の例*2、もうひとつは修学旅行の打ち上げで同僚と飲んだあと、事故を起こして逮捕された長野県の、これも中学校教諭の例*3です。
部活と修学旅行ですから両方とも職務の続きみたいなもので、その点で少し同情心が動きかけますが、だからいいというものではもちろんありません。一歩間違えば池袋事件のように何人も殺していた可能性がありますから懲戒免職もやむをえませんが、児童生徒を対象とした破廉恥事件と同じ処分というのにも、少し抵抗があります。
私の考え方は甘いでしょうか?
――ハイ、もちろん甘すぎます。
あれほど繰り返し飲酒運転はダメだと言い、あれほど何回も研修を繰り返しても飲酒運転はなくならない――研修は一滴も飲まない人も一緒に受けているわけで、こういう人たちは本気で怒っていると思います。特に長野の事件では、容疑者は飲み会会場まで自家用車で行ってそこに車を置き去りにし、タクシーで帰宅するという、マニュアル通りの対応をしているのです。それなのに帰宅したあとで家人の車を運転し、事故を起こしたというのですからもう管理職や教委に打つ手はありません。職員も十分に分かっているのですからこれ以上の研修を行っても抑止にはならないでしょう。
しかしそれにしても、やってはいけない、やったら大変なことになると十分分かっているのに、なぜ彼らは飲酒運転をしてしまうのでしょう?
答えは意外と簡単だと思うのです。
彼らは「飲んだのに乗ってしまった」のではなく、飲んだから乗ってしまった、正常な判断ができなかった、正常な判断ができていると誤認した、起こり得る最悪の状況(道路交通法違反による逮捕、さらには危険運転による池袋事件のような致死傷)を想定する力が弱くなっていた、最悪の状況に対する恐怖心が減衰していた、または全く起こらなかった――そういうことではないかと思うのです。
だったら周囲の人間に何ができるのか――教員の仕事があれほど過酷でなかったら、飲み方も酔い方も違っていたのではないか、そう考えるわけです。やはり甘いかもしれませんね。
*2:中学校教員を酒気帯び運転容疑で逮捕「保護者とビール・ハイボール5杯以上」…基準値5倍のアルコール分:地域ニュース : 読売新聞
*3:中学校教諭の29歳男を逮捕 酒気帯び運転の疑い 修学旅行の慰労で店2軒で飲食 帰宅後、車を運転し衝突事故起こし発覚 市教委が陳謝 | 長野県内のニュース | NBS 長野放送
【人間だから】
コロナ禍の間、特に飲食・観光の関係で「人あまり感」があったのが、パンデミック終焉とともに人手不足の情報が乱れ飛ぶようになっています。しかし全業種に渡って平たく人手が足りないということではないようで、足りないのは優秀な頭脳(ITなどの人材)、そしてソーシャルワーカーなど身体を動かす職場での人材、具体的に言えば交通・運輸・建設・介護・看護・保育、そして教員ということになります。共通点はコンピュータやロボットで代用が利かない、ということです。
私がよく分かっているからという理由で教員を例に挙げますが、
「優秀な塾教師をやとって授業をやってもらい、それをオンラインで全国に流せば教員不足は補えるうえに、学力が上がる」
そんなことを言う人は学問も授業も学校も分かっていません。もしオンライン一括授業が可能なら、AIによる個別チャット学習の方がよほどマシです。なぜなら、授業において一番大切なのは、とりあえず児童生徒が聞いているということだからです。
オンラインの授業をしっかり聞かせるのは誰なのでしょう? ボーっと注意力が散漫になった子を、スタジオの講師はどうやって呼び覚ますのでしょう? カメラの向こうには数万人もいるのですよ?
困ったことに人間だから自分に対する誤判断をするのです。人間だから酒も飲めば失敗もするのです。そして人間だから、きめの細かい運転や配送や建築の仕事ができるのです(知ってました? 同じ製造過程でつくられたボルトやナットの閉まり具合が違うって)。だから最後は人間なのです。介護・看護・保育・教育といった一人ひとりニーズが異なる仕事に、対応できるロボットはまだ発明されていません。
過ちにはもちろんゼロに近づけるべきです。けれどそれが完璧にできないからと言って、人間を嫌悪するのは正しい態度とは言えません。