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「良いお年を」~年賀状・盆暮れのあいさつは面倒を回避する先人の知恵だ

「国民アンケートクイズ リアル日本人」という番組で、年賀状を書く理由についてアンケートをとり、その結果を回答者が当てるという場面がありました。
 選択肢は「A.近況を知らせたい」「B.関係を深めたい」「C.しかたなく」「D.出していない」です。
 2グループの回答者の一方はC・D・A・Bの順で、もう一方はC・B・D・A順で多いと予想しました。しかし答えはA・C・B・D。両者とも一つも合っていません。
 回答者の中にまめに年賀状を書く人が一人もいなかったのが敗因のひとつでしょう。「年賀のあいさつはSNSやメールで済ます」「来た賀状には返事をする」、その程度の人たちです。
 この番組には3人のコメンテータがいてアンケート結果の分析をするのですが、そのコメントにも感心しませんでした。
「今の若者は意外と古いものに憧れている」
「電子データではなく一年に一度ぐらいは紙できちんと挨拶をしたい気持ちがある(表彰が電子データで行われたらありがたみがなくなるのと同じです)」
 しかしそうではないでしょう。人々はやはり近況を伝え、近況を知りたいのです。

 30年も前にお世話になった先生、勤めを始めた当初めんどうを見てくれた会社の先輩、青春を一緒に過ごしたかつての仲間たち、自分が育てた部下、すっかり疎遠になってしまった遠縁の親戚、そういう人たちが気になり、私はこんなふうに生きていますと知らせたいのです。

 しかしそれがなぜ年賀状でなければならないのか、SNSやメールでいけないのはなぜか――そこには年賀状のもつたいへん便利な機能があります。
 答えは簡単です。年賀状には「一度やり取りしたら、来年まで連絡しなくていい」という暗黙のルールがあるのです。近況を知りたい、報せたい、しかし今さら深い関係を持つつもりはない、そういうときに非常に便利なのです。
(これがSNSやメール、あるいは電話だったりすると改めて何かが始まってしまいます。年賀状以外の手紙やはがきも「さあ何かを始めましょう」といった雰囲気を醸し出してしまいます。ですから年賀状ほど安全ではないのです)

 私は今年、大幅に枚数を減らして半分以下にしましたが、それでも100枚近くになります。その100枚は、私の半生そのものです。

 ついでに、
 これもテレビ番組からの話題ですが、若い夫婦の妻側が、年末年始に夫の実家に里帰りをするのが辛い、どうやったら回避できるか、といった話をしていました。何やかやと理由をつけたり工夫をしたりして、結局いかずに済ませる方法を編み出したり我慢したりなのですが、それでいいのでしょうか。
 道義的な問題ではありません。盆暮れに行かないとしたらいつ行くのか、ということです。

 もちろん10年でも20年でも、一生、親が死んでも行かないという覚悟があればいいのですが、そうもいかないでしょう。状況は変わりますし気持ちも変化します。親が介護を必要とするようになっても放っておけるのか、自分が破産しても頼らずにやって行けるのか、ということになると誰も将来を確信することはできません。いずれ何らかの関係を持たなければならないとしたら、今のうちから関係をつなげておく必要があります。いざというとき敷居が高すぎるようでは不便です。
 盆暮れ合わせて2回、5日程度を、夫の里で過ごす程度のことは我慢しなければなりません。逆に言えば5日でいいのです。そのとき義理を果たせば後の360日を自由に過ごせます。ところがそうではなく、盆暮れに里帰りをしないとなると残りの360日が帰省の候補に上がってきてしまいます。しつこく電話がかかってきたりもします。そんなの面倒くさくてかなわないでしょう。

 世の中には(おそらく特に日本には)、ちょっと面倒だけどやっておけば大きな問題を回避できる、そういういくつもの仕組みがあります。
 結婚式の披露宴もそうです。葬儀や一周忌・三回忌といった回忌もそうです。面倒ですが親戚や友人を招いて一気にやってしまうと結局は楽なのです。それをやらずに後で一軒一軒回って挨拶したり、バラバラにやってくる来客にいちいち対応したりするのは面倒くさくてかないません。

 年賀状は昨日までに出せば、日本全国どこでも元旦に届けられたそうです(だから私は出しました。初めてのことです)。今からでも遅くはありません。せめて面倒くさい相手の分だけでも、早めに書いて早めに出しましょう。

 一年間お世話になりました。