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「来るはずの年賀状が来なくて怯える」~大黒さんは何処(いずこ)に①

 年賀状を“虚礼”という人は実のないものしか書いてこなかった人だ。
 賀状にはさまざまな意味があって大切にしている人もいる。
 そしてひとたび途絶えると、
 それがとてもたいへんな場合だってある
 という話。
(写真:フォトAC)

【年賀状を虚礼というのは無礼だろう】 

 昨年末、従兄から「お互いに年賀状は止めるということで宜しく」といった感じのショートメールをもらって腹が立ったというお話をしました。私のことまで勝手に決めるなという意味です。
 なるほど改めて見れば従兄の年賀状には添え書きのひとつもなく、出す方ももらう方も退屈な通り一遍のものでした。私のものは違います。ひとりひとり心を込めて添え書きもしています。

「年賀状のような虚礼はやめよう」という話は昔からあるのですが、それは心のこもらない年賀状を書いている人の言い分で、そんな人はやめてくれてけっこう。しかし同じ年賀状に特別な意味を込める人の存在に気づかず、一緒くたにして「虚礼」というのは「無礼」です。

「日ごろは言いませんが、あなたのことを気にしています」
「私にとってあなたは、わざわざ年賀状を書きたくなるほど大切な人です」
「あなたにとても興味があって、あなたの動向を知っていたいのです」
「あなたのおかげで今の私が存在します。私はあなたに見ていてほしい」
 そんな一年に一度の生存確認や愛情確認がどれほど重荷なのでしょう? 
 
 もしかしたらそれすらも面倒くさくてできない人たちが、自分の能力のなさを覆い隠すために「年賀状は虚礼」と言っているのかもしれません。それは虚勢です。みんながやめてくれれば能力不足も目立たないからです。よく工夫された年賀状は、もらう方も幸せです。
 
 さて、そんな幸福の年賀状が、ことしも数十通集まりました。ところが今年はそこにちょっとした異変があったのです。もう40年近くももらい続けてきた大黒(だいこく)さんからの年賀状が来なかったのです。  

【大黒さん、ボヘミアンK、そしてB太郎】

 大黒さんというのは本名ではなく、その風貌が七福神の大黒天に似ているところから私が勝手につけたあだ名です。教員になる前の年まで勤めていた学習塾運営会社の同僚で、私より三つ四つ年下だったと思います。
 この会社には逆に私より五つ年上で、密かに「ボヘミアンK」と呼んでいた先輩社員がいました。ボヘミアンK氏についてはちょうど1年前、長いこと連絡のできなかった人がようやく見つかった話としてこのブログにも書きました(「ボヘミアンK氏を探して」~年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様③
 さらにもうひとり、「B太郎」というあだ名の二つ年下の同僚もいて、この4人がかなり仲がよかったのです。B太郎は本名が栄太郎なのですが「A」は生意気だとK氏が言い出して「B太郎」にしてしまったのです。仲が良くてしたことです。

 ちなみに後年、私が女の子の父親となり、その子が年頃になって付き合い始めた男が「エージュ」という名だと知ったとき、学生の分際でウチの娘に手を出すのは生意気だということで、陰で彼のことを「Cジュ」と呼ぶことにしました。それがいよいよ本物だと知って「Cジュ」は「Bジュ」に出世し、やがて「Aジュ」と本名になって、結婚してからは陰でも「エージュ君」です。変われば変わるものです。

(話を戻して)
 この4人の中で私が最初に会社を離れて地元に戻り、続いてB太郎が退社して別会社に移り、だいぶ経ってから大黒さんが奥さんの地元の四国へ引っ越し、K氏だけが最後まで会社に残りました。
 大黒さんとB太郎氏とは長く年賀状のやり取りを続けましたが、K氏はとんでもない呑兵衛で年賀状を早めに手配できるような人ではありませんでしたから、いつの間にか所在が分からなくなって、前述のような話になったのです。

【大黒さんは何処に】

 B太郎氏も大黒さんもK氏と違って律義な性格で、40年間きちんと年賀状をくれていました。中でも大黒さんは常に余白にびっしりと近況を書き込んでくれていて、それが正月の私の楽しみのひとつでした。
 その大黒さんから年賀状が来ない、2週間待っても音沙汰ない――。これは尋常なことではありません。もともと太りやすい体質でしかも健康に気を配るような人ではありませんからなおさら心配です――というよりこうなって初めて本気で心配になってきました。そういえばお母さまは40代前半でがんのため亡くなり、妹さんも30歳になるかならないかの年齢で亡くなっています。お父様については記憶がないのですが、大黒さんが四国に移る時にはすでに他界されていたはずです。もしかしたら短命な家系かもしれません。そう考えたら胸がざわざわしてきました。

(この稿、続く)