カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「『なんで盆暮れに夫の実家に行かにゃならんのだ』という問いかけ」~これからの夫婦、正月をどちらの実家で過ごすのか?②

 若い夫婦にとって互いの実家を訪うことは気の重いことである。
 因習を捨て、独立した家族として生きようとすれば、
 そこには“双方の実家に行かない”という選択肢も生まれてくる、
 ――そうだろうか?
 という話。(写真:フォトAC)

【「なんで盆暮れに夫の実家に行かにゃならんのだ」という問い】 

 昨日取り上げたサライの記事、2023.01.07「【義家族との間】「兄嫁から身内になったのだから帰省は当然と言われた」気を遣い合ってまで帰省する必要はある?~その1~」は、特に優れているわけでも逆に平均的なわけでもありません。たまたま目についたから拾ったもので、「なんで盆暮れに夫の実家に行かにゃならんのだ」といった話はこれまでも何度も聞かされてきたものです。

 文明というのは人間が自分にとって辛いこと苦しいことを、機械やシステムに代行してもらおうというものです。したがって文明人は「我慢」ということが苦手で、常により安楽な道を見つけようと努力します。
 サライの記事で取り上げた女性も夫の実家で、
「談笑していても気を遣われているのがヒシヒシと伝わってきました。私もうまく会話に入れなくて、中学の時いじめの中で受けた無視を思い出しましたよ。(中略)こんな思いをしないといけないのかと結婚をしたことを後悔したほどです」
といった経験をした結果、そこまで苦しい思いをするなら行くこと自体をやめるべきだという結論に達します。文明人として当然のことだとも言えます。現代は子どもたちが「無理はしなくていいよ」「因習や周囲にとらわれることなく、自分の頭で判断することが大切だよ」と育てられる時代です。その意味でも盆暮れは夫の家族と過ごすという“常識”は修正されるべきだと考えたのでしょう。
 私も「夫の家族と」という部分については修正すべきと思います。両家の家族と、同時が不可能なら交互に、あるいは(これはかなり特殊なやり方ですが)夫が妻の実家で、妻が夫の実家でと交差して過ごすのが適切だと思うのです。
 しかし一般的には、夫婦そろってどちらの実家にも行かない、あるいはそれぞれ自分の実家に入って過ごすという選択肢はないのです。なぜなら年末年始やお盆を家族として過ごすことには、現在でも合理的な意味があるからです。

【家族という最強のセーフティ・ネット】

 「家族」は法律上でも最も重要視される社会の最小単位です。人間の組織をこれ以上分解すると人々は純粋に個人として生きざるを得ず、それでは自分を守り切れないからです。社会通念としても特に親子関係は絶対視され、親は子のため、子は親のために命を投げ出すのも当然といった擬制が成り立っていたのです。

 かつての天皇制が国民を「赤子(せきし)」として天皇との関係を親子に見立て、任侠の世界でも古くから親分・子分として自らを親子関係になぞらえるのはそのためです。
 現実には必ずしも親子相互のために命を投げ出すことはないにしても、あるいは逆に殺し合う関係さえあるにしても、いちおう親子とはそういうのだと意識づけられ、「親子」を中核とした「家族」が互いに支え合うものだと信じられてきました。
 ただしそれはまったくの擬制かというとそうではなく、多くの親は子どもの犠牲になることを厭わず、時間や金銭やエネルギーを惜しまずします。子も親を簡単には見捨てないでしょう。互いに支え合うものとして、兄弟姉妹もそれに準じます。つまり家族は社会的・法的に守り切れなくなったときも頼れる可能性のある最後の砦なのです。

 その最強の関係も、子が成人して独立してしまうと日常的な意味での必要性はなくなります。いざというときに役立つだけのセーフティー・ネットとなるわけです。ただしそれもきちんと機能しているか確認が必要になり、盆暮れに集まって結束確認、あるいは関係更新の手続きを行うわけです。

【年始回りは所属確認と関係更新】

 年末年始に家族が夫の実家に集合するというのは、おそらく年始回りからの変形でしょう。古くは正月に分家の者が本家にあつまり、「大盤振る舞い」といって共同飲食することは広く行われていたことです。その場で本家の長は新年に訪れた年神に代わり、分家の者たちに餅を持たせた、それがお年玉の起源だといいます。
 もちろん本家・分家が一つの村に集まっていた時代には年始回りも「大盤振る舞い」も短時間で済む行事でした。ところが明治以降、家を出た者が全国各地に散らばると日帰りで済まなくなります。そこで年の暮れに家族が集まって元旦をともに迎える、といったことが始まったようなのです。
 本家・分家関係の延長ですから、とうぜんそれは「夫の家に行く」という形になりました。

 年始回りというのは本家・分家だけの行事ではありません。江戸時代の武家は上司の家を訪問し、商人は得意先や取引先を回って新年の挨拶をします。それは人間関係の再確認であり、「本年もよろしく」と挨拶する言外に「困ったときには助けてください(助け合いましょう)」「あなたは私の身内です(他とは一線を画します)」といった意味が含まれていたわけです。
 華道や茶道あるいは落語といった伝統文化の中でも一門・流派ごとに挨拶回りは行われます。古い過去の風習と言ってはいけません。ジャニーズ事務所が所属タレントに出している「お年玉」が社長の個人的な支出だとして追徴課税の対象になったのはつい昨年のことです。

(この稿、続く)