「生きていくことの価値」�B

 クリスマス 幼子なき家(や)の 焼き魚

 平穏と言えば平穏ですが、なんだかんだ言いながら大騒ぎしたクリスマス・イブも懐かしいものです。

 さて、

 5年ほど前、昔、お世話になった校長先生のご葬儀でのことです。弔辞の一番が若く美しいお孫さんで、涙ながらに「おじいちゃん」「おじいちゃん」と語りかける口調には心動かされるものがありました。けれど私は別のところで心に思うことがありました。初対面のお嬢さんなのですが心当たりがあったのです。

 話はさらに20年ほど遡ります。退職されたばかり時、その校長先生を囲んで一緒に飲む機会がありました。その席で座がほどけてゆったりとした頃、校長先生と相対で飲んでいるとこんなことをおっしゃったのです。

「なあTさん。オレは40年近く、ただひたすらに教師をやってきて他に何もない。退職になって“ああこれで何もかも終わりだ、生きていく張りもない”そう思ったら――人生はうまくできているもんだね。ちょうどそのころ孫が生まれるんだ。それで“もう一度生きなおしてみよう、この子の成長を見届けて行こう”、そんな気持ちになるのだ」

 逆算すると、ちょうどその時に生まれたお孫さんが、弔辞の人なのです。

《ああ、この子だったのだな》

 そう心に呟いて、葬儀の後であの時の話を教えてやろうと思ったのですが、あいにく遺影を運んで奥の方に行ってしまい、私も急いで帰る用があったので話さずじまいで終わらせてしまいました。伝えておけば、さらにあの子の励みになったのかもしれないと、今でも少し後悔しています。

 孫は生きる価値を保証するか。

 先の校長先生の場合はそうでしたが、それが万人向けかどうかは分かりません。孫は特別だ、という人もいますが、それも果たして正しいかどうか。

 孫の行く末を見るためにもう一度生きなおそうとおっしゃった校長先生はずっと中学校畑を歩いてきた人で、小さな子と触れ合うのは久しぶりなのです。そういう人が赤ん坊の魔力に触れればひとたまりもありません。校長先生ばかりでなく、普通の人の大部分は自分の子が赤ちゃんだった時以来、小さな子に触れる機会はほとんどないはずです。

 私は小学校にも長く在籍しましたし、赤ん坊にしょっちゅう触れている人間です。小さな子どもには慣れています。そういう人たちでも自分の孫は特別に可愛く感じるのか――。

 試しに知り合いの保育士さんに聞いてみたら粋な答えが返ってきました。

「遠くの孫より、近くのネコ」

 赤ん坊の魔力に十分抵抗力があり、ネコを何匹も飼っておられる方です。

 孫が生まれたらもちろん可愛いでしょう。しかしおそらく特別に可愛いというわけでもないはずです。したがって私のようなタイプは、その子の成長を糧に人生を生きていくというわけにも行かないでしょう。

 私の場合だと「遠くの孫より、近くのウサギ」です(ウサギはネコみたいになつきませんから、ネコほど可愛くはないのですが)。

――とそこまで考えたとき、まったく異なるひらめきがありました。

 そうだ私には長く生きて見てみたいものがある。

                                  (この稿、続く)