カイト・カフェ

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「科学の話ができるかもしれない」~事故や問題の理由を精神性に求めない風潮よ来たれ!

 事故を起こしたJR北海道の野島社長が記者会見で微妙な言い回しをしています。
 野島社長は、一連の問題の背景に「現場の『あきらめ感』があった」と指摘。「本社が現場に向かって(安全重視の意識を)伝えきれていない。現場をつかみきれていない。現場の責任ではなく、本社の責任だ」と述べ、組織の意思疎通不足を認めた。毎日新聞
 上の記事にはありませんが「現場の『あきらめ感』があった」の前には「できないことを指示され続けたところから〜」といった内容の話があったように記憶しています。

 これまでJR北海道の事故・不祥事は繰り返し報道され、その数は呆れるほどに膨らんでいました。しかも例えば、レールの異常個所が267も放置されたのは、安全運行できるレール幅の「許容値」を保線社員が勘違いしていたからといった、信じられないような説明が行われています。しかし「信じられないような」ことはそうは起らないもの。実は人員不足で修理が追い付かなかったのです。

 JR北海道国鉄時代に1万5千人くらいの要員がいたのを、民営化のために7千人にまで縮減しました。それが民営化の目的で営業成績はぐんと改善されましたが、7千人は運営面では深刻な要員不足なのです。
 JR東海と比較した場合、(もちろん旅客・運送の量が違うとはいえ)JR東海が2000kmの営業区間を1万8千人で運営しているのに対し、JR北海道は2500kmを7千人で運営しているのです。これでは必要な保線もできません。事故・不祥事の大きな要因がここにあるのは明らかです。
 不採算路線を大胆に切り捨てて7千人で対応できるレベルまで路線を縮小するか、それが堪えがたいなら北海道や国が何らかの資金投入を考えない限り、事故も不祥事も減りません。野島社長が「本社の責任」といったのはそのためです。社員がたるんでいるといった話ではないのです。

 同じ日、東京電力でも別の発表がありました。あいつぐ汚染水の漏えいは、東電が下請け会社に仕事を丸投げしたことによる連絡・調整不足だったというのです。東電は指示書を出すだけで、細かな指導や確認を怠っていました。放射能を扱う場で、直接の担当者が現場に行って行うということをしていないのです。

 なぜそんなことになったのか。もちろん人が足りないからです。基本的工事が適正に行われているかの確認といった単純な作業に、人員を割けないのです。だから単純なミスが防げない。先行投資を惜しんで結果、後始末に数倍の資金を投入する、大昔から行われたことがまた繰り返されています。

 学校はどうか。
 教育の場での人員不足は見た目より深刻だと私は思っています。昔は1クラス45人でもやっていたといった言い方に騙されてはいけません。私たちが対象にしているのは「二十四の瞳」や「山びこ学校」に出てくるような、何をやってもついてくる子どもでも保護者でもないのです。学校に要求されることも、質、量ともに全く違ったものになっています。

 今、大量の資金と人員を投入しなければ、将来たいへんな代償を支払うことになるのかもしれない、そういう状況が静かに進行しています。
 例えば、そろそろ最初の引きこもり世代が、親を失い、資金を使い果たして、何のスキルもないまま身ひとつで世の中に出てきます。私たちはその受け皿を何ひとつ持っていません。彼らの大部分は何とかなります。しかし一部は絶望的な気持ちを抱え、社会に恨みをもって家の重いドアを開け始めるのです。