カイト・カフェ

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「双生紀」~どんなに様子が違っても、双子も年子も、全く平等に育てなくてはいけない

 姪のところに双子が生まれたのでお祝いに行ってきました。二卵性で二人とも女の子です。体重がずいぶん違い、姉に当たる方が2500gなのに対して妹の方は1500gしかなく、“妹”は一人で保育器に入れられてしまいました。おかげで私たちが会えたのも片方だけです。

「面接室」と札のついた部屋で会ったのですがほんとうに小さく、しかしそれなりにしっかりしていて手足を盛んにばたつかせます。お祖母ちゃんにあたる義姉に「抱いてやって」と言われて手を伸ばしたのですが、抱くと言うよりはまだ「持つ」という感じで、とてもではありませんが腕の中に納まるものではありません。
 薄眼を開け、口をパクパクやって舌を見せ、また腕を宙に伸ばして両手で手刀を切るみたいに暴れて見せます。
「可愛くない赤ん坊はいない。なぜなら可愛くない因子を持った赤ん坊は自然淘汰され、遺伝子を残せなかったからだ」
 そういう話を聞いたことがあります。確かにその通りかなと改めて感じました。

 ところでまだ私が高校生の頃、実家の隣りにこれとそっくりな双子がいました。生まれた時の体重が全く違い、のちに“姉”は美しく育ち、学校の成績もよく、スポーツも堪能な三拍子そろった少女になりました。ところが“妹”の方は相変わらずのサエなさで、なまじ双子と知られていますからいちいち見比べられて可哀そうでした。おまけに病弱なところもあり、ずいぶん親を心配させる子でもありました。

 しかし中学校も2年目が終わるころ、ほんとうに親を困らせるようになったのは“姉”の方でした。なかなか立派な非行少女になっていたのです。
 その後紆余曲折があり、今や二人とも立派なお母さんとなり、それぞれ二人の子どもを庭で走らせたりしています。しかしそこまで来るにはけっこう大変な日々があったみたいです。

“年子は双子のように育てよ”という教えがあるそうです。それは全くその通りで、一つ違いでは「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」と言われても納得できるものではありません。それが本物の双子だったら尚更です。
 一方がどんなに弱くても、サエなくても、公平に扱ってやらなければ可哀そうです。

 まだ子を産んで間もないですから何も言わず来ましたが、少し落ち着いたら、姪にもこの話をしてやろうと思っています。
 子どもにとって(大人だってそうですが)、納得できる理由もないまま不公平に扱われるのは、「お前を愛さない」と言われているのと同じなのです。
 きっと。