カイト・カフェ

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「いのちのこと」9〜その日の夜

  その日の夜、シーナの夫のエージュも駆け付けます。仕事の終わったその足で電車に乗ったようです。
 エージュには出産前後から何通かのメールを送っています。
「シーナ、今、分娩室にはいりました」
「2時25分。今、生まれたよ」
「ご実家に電話しましたが誰も出ません。エージュ君からお知らせください。3172グラムでガンガン動き回っています」
 そしておよそ40分後、
「今、医者から説明があって新生児仮死と言われたようです。生まれてしばらく(3〜4分程度)泣き声がせず、心配な状態でした」
(私はここでウソをついています。仮死でいた時間は3〜4分ではなく、私の計測でも「5分」です)
「今日は保育器で過ごし、明日の検査で外に出て来るようです。疲れもありますが、シーナは傷ついているようなのでよろしくお願いします」
「追加の説明があり、母子ともに感染症の疑いがあり、並行して治療するみたいです」
 現代の父親ですから電車に乗ると同時に検索をはじめ、新生児仮死や感染症についても十分に調べたうえで、エージュは病院に着いたと思います。

 感染症については書き漏らしたのでここに書いておきます。
 出産直後、担当の看護師にアプガー・スコアについて訊ねた際、こんなことを言われました。
「お母さんに熱があったので、もしかしたらと思ったのですがやはり赤ちゃんにも感染症がありました。並行して治療しますので保育器は2〜3日伸びそうです」
 私は母親の風邪が胎児にもうつったというような話かと思ったのですがそうではありません。新生児感染症は赤ん坊が何らかの菌またはウィルスに侵されることで、病原は特定されないかする必要がありません。羊膜と羊水に守られていた胎児は免疫が極めて限定的でいわば免疫不全の状態にあります。したがって通常は無害なものも含めて、あらゆる菌・ウィルスが病原となるのです。
 感染は風疹のように母体から菌が直接に移送される場合もあれば出産中の産道感染、あるいは出産直後の院内感染もあります。シーナの場合は出産前、すでに母体自身が発熱していたことから、小さな破水があった際に産道から菌が入ったと考えられます。いずれにしろ母子ともにそのための治療が必要だったわけです。
 厳密にいえば新生児仮死の経過観察に1日、感染症治療のために合わせて3日、保育器の中で過ごす必要がありました。シーナが赤ん坊を抱くのはまだまだ先のようです。

 夜、エージュを病室に案内して私はしばらく遠慮します。二人の時間をとってあげたかったからです。夕方、赤ん坊を見たことでシーナはずいぶん元気を取り戻しましたがエージュと話すことでさらに元気になったように思えました。
 そのまま20分、30分と待って、私は少しやきもきし始めます。エージュはその夜我が家に泊まることになりますから病院を出る時間ぐらい決めておきたかったのです。今帰るならそのまま車に乗せればいいし、もっと遅くなるなら改めて迎えに来ればいい、それが知りたかったのです。
 しばらく待っても病室から出て来る様子がないので、しかたなくこちらから顔を出そうと思ったころ、廊下を通りかかった看護師が声をかけてくれました。
「あら、お父さんとお母さん、新生児室に赤ちゃんを見に行っていますよ」
 走らない程度に大急ぎで廊下を抜け、新生児室のガラスの中を見るとエージュとシーナは中で白衣を着け、二人並んで嬉しそうに保育器をのぞき込んでいます。ほんとうに幸せそうでした。赤ん坊は新米のパパとママの方に顔を向けています。
 あとで聞くと、
「私たちのこと、見てるよね」
「うん、わかっているんだね」
といった会話をしていたようです。しかしもちろんそんなことはありません。目など見えているはずはないのですから。
 しかし親には親の感じ方があるようです。 

                              (この稿、続く)