カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「天才たちの世界」~生まれながら違う人たち

 小学校の6年生のとき、社会科と理科の総合テストがあって(なぜ社会科と理科だったのだろう?)学年でたった二人、私とT君だけが理科で満点を取ったことがあります。教室でわざわざ二人を前に並べ、担任から特別に誉められたのでよく覚えています。

 その後数年を経て、T君は東大の医学部へ現役で進学し、私は浪人して人生の荒波の下に深く沈潜することになりました(荒波を泳ぎきるような逞しい人間ではなかったので)。

 のちのちまでも「昔はこれでも東大医学部に進学するヤツと同じくらい頭がよかったのだ」という思いは、自慢でもあり悔恨でもあり、なんとも複雑なものでした。しかし教員になってたくさんの子どもたちを見ているうちにようやく分かってきたのです。

 私は立派に100点を取った子ですが、T君は「100点しか取れなかった子(満点が100点だったので)」だったのです。

 あれが100点問題ではなく、10倍の1000点問題でもT君は満点を取ったはずです。しかし私の方は(10倍となるとそうとうな難問も入ってきますから)どんなに頑張って追いつかない。問題数が増えれば増えるほど、その差はどんどん開いただろうと考えられるのです。

 そう言えば、私もそんなに努力家ではありませんでしたが、T君は中学でも部活ばっかりやっていてほとんど勉強なんかしない子でした。やはり一種の天才なのでしょう。

 大人になったある日、家族で行ったレストランでT君一家と偶然会いました。お父さんがお医者さん、お兄さんも京都大学の医学部を出たお医者さんです。
 華麗なる一族の夕餉でした。

 俳優の児玉清という人は、頭の中に台本がコピーされていると言います。他の俳優さんたちは言葉のやり取りの中から自分の台詞をつかんできますが、児玉の場合は頭の中の本が読めるのです(だから一流の俳優になれなかった?)。

 また、アインシュタインは問題の解答が数式ごと、ドサッと降ってきたといいます。すべてが一気に来るのですから、あとからゆっくり時間をかけて検証したといいます。

 フォン・ノイマンは世界初のコンピュータを完成させたとき「これで世界で二番目に計算の速いやつができた」と喜んだといいます(まだ彼の方が速かったのです)。また、彼は生涯に読んだすべての本を全文暗記していると主張し、しばしばそれを証明してみせました。

 エジソンに至っては、もう自分は普通の人間ではない、いわば神の啓示の受信機みたいなもので発明は神から直接やってくると信じていました。その「啓示」を彼は「霊感」と呼び、「天才とは99%の汗と1%の霊感だ(神の言葉が聞こえないようじゃ話にならん)」と表現しています。

 再び私自身の話になりますが、大学1年のときに住んでいたアパートは東大駒場の近くにあり、ひょんなことから東大生に誘われて麻雀をする羽目になったことがあります。しかしあるとき、この人たちが一ヶ月前の対戦の、第何局の誰々の第何手がどんな牌だったか、ほぼ適確に言えると知って怖気を振るって引き下がりました。こんなやつらとやって勝てるはずがありません。

 しかし知り合いにそんな天才めいたヤツが何人もいたり、本の中で天才たちの生活を数多く知っていても、私はさっぱり羨ましいとも思いません。
 なぜなら彼らがそのお陰で幸せになったとはまるで思えないからです。
 金持ちの知り合いもいっぱいいますが、彼らにしてもお金のために幸せである例は稀です。