カイト・カフェ

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「ナポレオンの帰還」~メディアは権力に媚びる

 今日2月26日は2・26事件の起こった日です(1936)。2・26は専門に勉強したことがあるのでひとこと言いたいのですが、今日はやめておきます。ただし一つだけ、
 日本では有名なテロルはいずれも雪の中で起こっています。2・26事件、赤穂浪士の討ち入り(1703)、そして桜田門外の変(1860)、先日「八重の桜」を見ているうちに思い出しました。

 それとは別に、歴史年表を見ていたら2月26日はナポレオンボナパルトエルバ島を脱出した日でもあるそうです(1815)。

 1812年、ナポレオンがロシア遠征に失敗するとプロセインを始めとする反フランス連合は反撃を開始。1814年ついにパリを占拠し、皇帝ナポレオンは退位してエルバ島に流されます。
 ところがそのあと始まった戦後処理の「ウィーン会議」は各国の利害が対立し、「会議は踊る、されど進まず」で有名になるくらい、全く何も決められないのです。そうこうしているうちにナポレオンはエルバ島を脱出し、パリに向けて進軍しはじめます。
 それが1815年2月26日なのです。

 その知らせは3月に入ってパリに伝えられ、以後、新聞はナポレオンの動向を次のように伝えます。

3月9日 人食いがそのねぐらを出た。
  10日 コルシカの鬼がまさにジュアン岬に上陸した。
  11日 虎がギャップに到着。
  12日 怪物がグルノーブルで一泊した。
  13日 暴君がリヨンを通過。
  14日 簒奪者はディジョンへ向かったが、勇敢で忠良なるブルグンドの人々が一斉に立ち上がり彼をあらゆる方向から包囲した。
  18日 ブオナパルテは首都から60リュー以内にいる。彼は追撃者の手をうまく振り切った。
  19日 ボナパルトは大きく前進しているが、パリに入ることは決してないだろう。
  20日 ナポレオンは明日には我らの城壁下に現れるだろう。
  21日 皇帝はフォンテーヌブローにいる。
  22日 皇帝陛下は昨晩、献身的で忠実な人々の歓呼の中、テュイルリー宮に入城した。

 これはけっこう有名な話で、社会科の教材に使ったりします。
 一説には当時の官製新聞「ル・モニトゥール」の見出しということになっていますが、当時のパリの新聞はすべて検閲を受けていますから、新聞の見出しに表れる怯えは新聞社と言うより検閲官のものだったに違いありません。検閲官といえば公務員ですからこうならざるをえません。メディアなんてその程度のものだと、そういう言い方もできます。