並ぶ能力

 ここのところ東アジアの情勢がやたら難しくなっています。

 中国もついこの間まで、北京オリンピックや上海万博を控えて「国際的なモラルのある国になろう」「道ばたで痰を吐くのはやめよう」「街でごみを捨てない」「バスの乗車などはきちんと列を作って、割り込みをしないようにしよう」といった基本的なマナーを呼び掛ける運動が盛んで、私も「やれやれやっと中国も世界大国としての責任を背負う気になってきたな」と見守る気持ちになっていたのですが、突然の変心。尖閣列島問題では国民を煽り、北朝鮮問題では言を左右にしてしっかりとした仕事をしません。

 こうした変節に対する考え方として、次のような説明を最近覚えました。

「中国や北朝鮮のように一枚岩を標榜する国では、統一的な政治ができていないということは絶対に表にできない。したがって国内に考えを異とするグループがあって勝手な行動を起こしても、それは『指導者の含蓄ある行動』として飲み込まないわけには行かない」

というものです。

 例えば北朝鮮の場合、ウラン濃縮など手間のかかる「瀬戸際外交」をセッティングした外務省系のクループの努力を、それに反対する軍部が一発で吹き飛ばしてしまった、しかし北朝鮮は国内にそうした二派があることは絶対に認めることができない、とういうわけです。なるほどと思いました。

 しかし今日お話ししたいのは東アジア情勢ではありません。一番最初の「中国人は並ぶのが下手」ということについてです。日本人だってかつては相当に並ぶことが下手な民族だったらしいからです。

 それが飛躍的にうまくなったのはいつか――これについてはかなり確度の高い情報があります。私の母の証言です。

 それによると、並ぶのがうまくなったのは戦時中の配給制度のおかげだというのです。毎日毎日何を買い求めるにも並ぶところからスタートですから、うまくなるのは当然かもしれません。戦後も長くモノ不足が続いて、やはり延々と並ぶ生活が続きました。そこでも日本人は並ぶ訓練をし続けたのです。

 しかし高度成長をとげてモノが豊かになっても、日本人はきちんと並ぶことをやめませんでした。阪神大震災のさなかですら、商品が枯渇する危険性を顧みず、スーパーやコンビニの前で人々は並びました。最近では東京の銀座に外資系の衣料店が開店したとかで、その店を先頭に数キロの列ができたといいいます。しかしその一方で、押し寄せた人々が店の前で群集となりやがて暴徒化したとか、横入りから喧嘩になって大変だったとかはさっぱり聞きません。

 こういう話になると、すぐに「日本人のDNAに組み込まれた並ぶ習性」とかいった話にしたがる人がいますが、そんなものがDNAに組み込まれたら生きてはいけないでしょう(人を見たら自動的に並んでしまうようでは、日常生活はできません)。

 今もきちんと並べるのは、日本人の並ぶ習慣をがんばって維持し訓練している組織があるからです。毎日毎日、大人になっても自然にできるまでじっくりと訓練を続ける組織、それはもちろん私たちです。

 保育園から小中高校、子どもたちは何百回整列をさせられたのか分かりません。全校朝会でならび、教室移動で並び、遠足を並んで歩き、社会見学では並んで切符を買う体験をし、うまく行かないと誰かが「さっさと並んで!」と声をかける、そんな訓練は学校でしか行っていませんし、学ばなかったことのできる子どももいません。

 私が学級活動をはじめとする特別活動を、ものすごく大事だと考えるのはそういった理由からです。