カイト・カフェ

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「秋分」~”お彼岸”の意味やあれこれ

 運動会ご苦労さまでした。反省や評価は慰労会の中で出ましたので改めては言いません。

 さて、一日登校しただけで休日。明日は秋分の日です(飛び石連休というのはありますが、飛び石登校というのはなかなか意気があがりません。しかし日程上、しかたありませんね)。

 太陽が真東から昇り真西に沈む日で、昼夜の時間が12時間ずつで同じになります(正確には様々な条件によって完全に同じではないそうですが)。春分の日とともに毎年天文学的に説明される可変の祝日で、年によって日の違う祝日というのは世界的にも珍しいのだそうです。

 私は子どものころ、春分秋分は休日でお墓参りに行くのに、夏至冬至は休みにもならなければお墓参りにも行かないのがとても不思議でした。しかし教えてくれる人もいないのでそのままにしておいたのですが、疑問は忘れずにいればいつか解決するものです。教師になって修学旅行の学習をしているときに、その答えはポンと向こうからやってきました。それによると・・・。

 秋分春分というのは二十四節季と呼ばれる太陰暦上の言葉であって、天文学的には上に書いたような意味を持ちます。しかし仏教的行事の観点から見ると、秋分の日を中心とした七日間を「秋のお彼岸」と呼び、秋分の日を中心とした七日間を「秋のお彼岸」と呼ぶので、秋分と彼岸は同一視されるようになっています。

 彼岸はサンスクリット(古代インド語)の「パーラミータ(波羅蜜多)」を中国語に訳した「到彼岸」をさらに省略した言葉で、文字通り「向こうの岸」を表すものです。
(こうした省略の例は「ウラバンガ」→「盂蘭盆(うらぼん)」→「盆」のようにけっこうたくさんあります)

「彼岸」は、煩悩に苦しむ現実世界「此岸(しがん:こちらの岸)」に対置して、煩悩を解脱した世界を表します。

 理屈上、亡くなった人たちは法要などによって煩悩を捨て去り、「仏様」になって向こう岸におられます。お彼岸というのはその「彼岸におられる方(仏様・ご先祖)」を思う日であり、「自分も彼岸に生き返るぞ(到彼岸)」と決意を新たにする日とも言えます。

 彼岸が秋分春分であることについてはいろいろな説明があるそうですが、

  1. 昼と夜の時間が同じことから、同じように存在する此岸・彼岸を想い安い
  2. 仏様は極楽浄土(西方浄土)におられるので、太陽が真西に沈む秋分春分は彼岸に想いを寄せやすい

などといった説が有力なようです。

 こうした説明は子どもには難しいので、「三途の川を挟んで、向こう岸にいるご先祖のことを考える日なんだよ」といった言い方をしましたが、これもさほど間違った説明ではないでしょう。

 なお、「お彼岸」というのは日本独自の風習だそうです。私は良いことだと思っています。