「三十二相八十種好(にじっそう はちじゅうしゅこう)」~いつかブッダは、こんな姿で現れる

 中山先生のクラスに“大仏の手”の絵が飾ってあります。大仏の大きさを実感させようというもので、私も昔、作ったことがあります。

 伝承によると悟りを開いたあとの釈迦はその内容を伝えることに非常に不熱心だったようです。自分の得たものはとても言葉にしがたい、理解しがたいといった感じなのです。梵天がやってきて教えを広めるよう懇願して(梵天勧請)ようやく重い腰を上げますが、もともとそんな調子ですので語られる内容は広くあいまいで、様々な解釈を許します。また文字にまとめられるのも遅れたために様々な異説が生まれ、日本だけでも五系十三宗五十六派と言われるほどの量と広がりを見せ、それがまた仏教の豊かさを生んだともいえます。

 釈迦は悟りを開いて仏陀となった――それが仏教の第一ステップです。しかしそれだけでは終わらないだろうという期待が生まれます。いつの日にか新たな仏陀が現れ、この世界を救わなければならない、それが第二ステップです。

 弥勒は釈迦の亡くなったあと、56億7000万年後に現れる未来の仏陀です。いまはまだ候補生ですので菩薩の段階にあり、未来の世界を救う方法を思案しています。弥勒菩薩が半跏思惟という物思いの姿をしているのはそのためです。

 いったん仏陀の数が増えると、あとはいくらでも増やすことができます。特に病気や障害を持つ人のために存在する薬師仏、祈る人すべてを救う無量の光の阿弥陀仏、そうしたものが次々と創設されます。それが仏教のひとつの面です。
 奈良の大仏毘盧遮那仏)はそうした仏陀たちを総括する大仏陀として現れた存在です。

 大仏は巨大ですからすぐにわかりますが、たとえば弥勒仏56億7000万年後にが出現したとき、人々はどのようにしてそれと知ることができるのでしょう――実はこれはすごく簡単で、誰にでも分かる32の特徴とよく見ないと分からない80種の特徴をもっているのです。これを「三十二相八十種好」と言います。

 例えば、頭が二段頭になっていて、髪は一つひとつが右巻きの天然パーマ、しかも色が青。おでこの真ん中、眉と眉の間に白い毛の固まりがある(白毫)。瞳は青く、歯は四十本で雪のように白い。手の指と指の間に水かきがあってできるだけたくさんの人を救うことができる。足の裏に車輪のような模様がある。手が長く直立の姿勢のままで膝を触ることができる。その手を両側に伸ばすと身長と同じ長さである。

 舌が異様に長くて上に伸ばすと額を越えて頭髪の生え際までなめることができる、しかし口の中であふれることはない。
 偏平足。脇の下も肉が豊かで凹みがない。全身が薄く黄金色に輝くが、手足の色は紅、といった感じです。
 耳が長く福耳で、あごの下には三本の皴がある。眉が長く、鼻の穴が見えない、等々。

 あらゆる仏像はそれを基本につくられていますから、そう思って見るといいでしょう。

 私が子どものころ、国語の教科書に薄田泣菫の「天文学者」という小説が載っていました。
 大晦日、貧乏な天文学者のところに借金取りが来ます。払う金が惜しいので、
「学説によると、すべてのものは56億700万年後に戻ってくるという。借金はその時に返すがそれでいいか」と言うと借金取りは意外な素直さで「もちろんようございます」と言います。
「ただし今から56億7000年前にお貸しした同額の借金については、今すぐここでお返しください」

 その時は分からなかった56億7000万年の意味、それを知ったのはずいぶん大人になってからのことでした。