カイト・カフェ

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「新学期のスタートに」~子どもたちに話すこと

 新学期が始まります。子どもたちはどんな思いで登校してくるのでしょう。
 自分を振り返っても夏休み明けがものすごく憂鬱だった記憶はあるのですが、短い年末年始休み明けがどうだったのか、さっぱり思い出せません。しかし子どもたちの中には、ひとつ年を越して真剣に「2014年はこういう人間として生きよう」と決心している子もいるかもしれません。そうした気持ちに水を差さないよう、注意深く扱っていきたいと思います。

 3学期の最初の仕事のひとつは、新年の目標を立てることです。しかしこの“目標”、なかなか達成されるのを見たことがありません。目標が曖昧だったり評価しにくいものだったり、あるいは高すぎたりと原因は様々ですが、ひとつには「中間評価をしない」ということもあるように思います。

 そこで私は、「取りあえず1ヶ月だけがんばって、それから見直そう」ということをしました。いつ見直すかというと2月の1日か2日にやるのです。そうして2月の3日に豆まきをして怠け鬼を退治し、もう一度挑戦する。それでもだめなら4月の新年度に引き継ぎます。子どもだましみたいですが、中学生でも通用する場合が少なくありません。節分というのは、案外いいやり直しの機会なのです。とにかく大切なのは「何度でもやり直す」ということ。
「まだ子どもなのだからできないことだってあるさ。でも諦めず、何度でも挑戦してみよう」
 そういうことです。

 さて今年は午年です。馬に関わる慣用句や諺はたくさんあるので、ちょっと調べてみました。

「馬の耳に念仏」「馬耳東風」「馬が合う」「竹馬の友」「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」「鹿を指して馬と為す」といったところはオーソドックス。
「生き馬の目を抜く」と言えば素早くことを運ぶ様子、他人を出し抜いて利益を得ようとすること、あるいは油断も隙もないことです。
「意馬心猿」は心が煩悩や欲望のために抑えがたいこと。「牛飲馬食」は大いに飲み食べること。「馬の骨」は氏素性が分からないこと。「馬脚をあらわす」は芝居の馬の脚が見えてしまうこと、転じて悪事が露見すること、ぼろが出ること。「南船北馬」は忙しく動き回って働くこと、東奔西走に同じ。
「馬の鼻向け」は旅立つ人の乗る馬を行くべき方向に向けて見送る中国の習慣から、「旅立ちや門出に送る金品」。「はなむけ」は現在、「贐」「餞」の漢字を使います。
端午(たんご)の節句」はもともと月の最初(端)の午の日の行事。中国の一部では5月が「午の月」だったという説明もありました。「初午(はつうま)」は2月最初の午の日に、稲荷神社で行われる祭礼。
馬頭観音」は憤怒形をした観音様。馬だけでなくあらゆる生き物を救うとされていますが、民間では馬に関わる職業(運送業など)で信仰の対象となっています。

 馬はかつて人間にとって身近な動物だっただけに、たくさんの言葉が出てきます。しかし私が最も好きなのは、「人間万事塞翁が馬」。
 慶事に喜び過ぎず、凶事に落ち込まず――性に合っています。