大沢先生のクラスの後ろの黒板に、子どもたちが拾い上げたさまざまな言葉と、その意味が書かれた短冊のような掲示がありました。
ある子は「以心伝心」という言葉に心引かれ、別の子は「取らぬ狸の皮算用」といった言葉を拾い上げてきます。
「ムスカリ」
青い、可愛い、ブドウの房のような花ですが、花としてではなく、言葉として選ばれました。その理由は、私にもなんとなく分かるような気がします。もう10年以上前のことですが、外国人留学生が好きな日本語のトップが「カタクリコ」でした。口の中で舌がコロコロ転がるような発音が心地良かったのかもしれません。「ムスカリ」にも同じような発音の妙と、言葉のエキゾシズムを感じます。「あべこべ」「がむしゃら」を選んだ子どもも、単にその言葉の音が楽しかったからなのかもしれません。
他には「耳が痛い」「のどから手が出る」。
初めて出会う言葉としては、かなり刺激的です。
「身震い」
なんの変哲もない言葉のような気もしますが、その子には何かが引っかかったのでしょう。
表現力の基礎は圧倒的な語彙です。これが不足すれば少なくとも言語表現の豊かさは生まれません。こうした言葉の探求と言葉遊び、思い切りたくさんさせたいものですね。
ところで、「取らぬ狸の皮算用」については、これを耳から覚えた子どもが何がなんだか分からず、目を白黒させたという話を聞いたことがあります。かれはこんなふうに聞き違えたのです。
「トラは、タヌキの、母さんよー」
話が面白すぎるので、きっと作り話だと思うのですが・・・。