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「小説の神髄」~逍遥(しょうよう)の言いたかったこと

 今日、6月22日は坪内逍遥の誕生日だそうです(1859年:安政6年)。

 逍遥は26歳のときに、評論「小説真髄」を発表。「南総里見八犬伝」に代表されるような江戸時代の勧善懲悪物語を否定し、小説はまず人情を描くべきだと主張しました。今となれば当たり前の話ですが、江戸末期から明治にかけて、日本の小説はエンターテイメント中心で人間を深く問うようなものは存在しなかったのです。

 さて、例えば身内を亡くして悲しみに暮れているとき、「私は悲しかった」と書いてしまったら文学は成り立ちません。そのとき書きたい「悲しみ」は独自のものであって、アイスクリームを落として「悲しかった」ことや、ドジを踏んでみんなに笑われて「悲しかった」ことと同じレベルで捉えられたのではかなわないのです。その「私、独自の悲しみ」、を表現するために、さまざまな技法を使うのが文学です。「悲しかった」ときに「悲しかった」と書かずに頑張るのが文学だ、とも言えます。

 子どもの作文にそうした要素を入れるのは難しいですが、そうした要素を頭に入れて読むと、また違った評価ができるのかも知れません。
* ところで「逍遥」というのが何なのか知っていますか?「辞林」によるとそれは「ぶらぶら歩くこと」です。明治の文豪はなかなか粋なペンネームをつけたものです。