「あとみよそわか」

 職員室の黒板の上に「あとみよそわか」と書いた紙が張ってあります。どこの学校にもどこかに必ず貼ってあるものですから知らない人はいないのですが、きちんとした説明を求められると戸惑います。そこで改めて調べてみました。

 「あとみよそわか」は幸田文が繰り返し書いた父親・幸田露伴の話の中に出てくる言葉です。幸田家は著名人を次々と輩出した家柄ですが、露伴は文の才能に早くから見切りをつけ、
「おまえは学問や芸術には向かない、お金を稼ぐ人になるのも覚束ないだろう。そうなれば、あとは並みの家庭を築いていくしかない」
と言って家事・雑用を仕込むことを宣言するわけです。幸田文は早くに実母を亡くし継母ともうまくいっていませんでしたから、露伴自身が仕込まなければならないと考えたのですが、男の掃除ですから半端ではすみません(普通、男というのはめったに掃除なんかしないのに、始めるとマニアックにやりすぎるところがあります)。はたきのかけ方から雑巾のかけかた、箒のつかい方、台所仕事まで徹底的に絞ります。その様子は「あとみよそわか」という短文の中に少々滑稽に書いてあります。

 こうした教育を格物致知(かくぶつちち)の教育というのだそうです。物にふれて物の意味を知っていくということですから、露伴は単に掃除を教えるのではなく、掃除を通して物の意味を理解させようとしたのかもしれません。

「あとみよそわか」の「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」、「そわか」は成就を意味する梵語だといいます。江戸時代の本にも「後看世蘇和歌」とあるので露伴の造語ではなく、露伴の教養を示すものでしょう。単に「掃除が終わったらもう一度あとをみなさい」というのではなく、徹底的に物から学んだあとでさらに学び残しがないか、もう一度確認しなさい、といった厳しい教えのようです。