校長先生からエジソンについてのお話がありました。伝記は子どものころ読んだきりなので、小学校を3ヶ月で辞めてしまったことなど、とても新鮮でした。しかし話を聞いていますと「なぜなぜ坊や」だとか「どうして坊や」だとか、現代の基準に照らし合わせればもうこれは確実に何らかの発達障害が疑われるお子さんで、それを手元に引き取って独自の教育を施そうとしたお母さんこそ天才的なセンスを持った人だったのかもしれません(実際にこの母親は、そうした意味で評価の高い人だという話を聞いたことがあります)。
生涯に1094件の発明というのも異常な数で、エジソン自身、後年、次々とアイデアの訪れる自分をいぶかって、自分の発明は自分のものではない、これは宇宙から訪れるいわば神の啓示で、自分は単にそれを広めるために選ばれた増幅器のようなものではないかと言い出します。彼はその「啓示」のことをスピリッツと呼んだようです。
「天才とは1%のひらめきと99%の努力とである」
はエジソンの有名な言葉ですが、この「ひらめき」にあたるのが「スピリッツ」で、「努力なんか誰でもする。結局スピリッツ(=神の啓示)がなければ天才じゃないんだ」というのが本当に言わんとするところだったようです。まったく身もふたもない話です。
自動車王ヘンリー・フォードとは親友で、どちらかが先に死んだら生き残った方が遺体の胸を開き、その最期の息を取り出す、という約束をしたようです。そしてエジソンが先に死んだため、フォードが約束を果たしました。その息は試験管に入れられて、デトロイトのヘンリー・フォード博物館に今もあります。ただし栓がコルクなので、中の息は普通の空気と入れ替わっているのかもしれません。そんな話を聞くにつけても、エジソンはやはり「(大変なという意味で)エライ人」なのであって、付き合う人はなかなか大変だったのかもしれないと思ったりもします。
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