家貧しくして孝子出づ

 日曜日の朝は、いつもニュースバラエティの「ザ・サンデー」と「サンデー・モーニング」をバチバチとチャンネルを変えながら見るのですが、今週の目玉の一つは、例によって沖縄の成人式でした。

 土曜日に映画館に出かけ「硫黄島からの手紙」という映画を見てきたばかりだったので、何か考え込む気になりました。沖縄というところが良くない。

 硫黄島の戦いも悲惨でしたが、民間人が巻き込まれたという意味では沖縄戦を上回る悲惨な戦闘はなかったはずです。その沖縄で、成人式を迎えた若者が馬鹿騒ぎをする。戦争で死んでいった人たちは、こんな日本を創るために死んだのではなかろう、というのが率直な感想です。

と、そんなことを妻と話しながらテレビを眺めていたら、そこに現れた高校生の娘が、

「なに? コレ? 沖縄の成人式って楽しそう!」

(おい、それはないだろう?)

ここで何かひと言、説教を・・・と思いかけて、それからまた思い直しました。

成人式の式典そのものを破壊するのは考えものですが、道路を練り歩き、一部で小競り合いがあったって、そう大した問題ではないのかもしれません。昔、阪神タイガースが優勝したときの道頓堀界隈の馬鹿騒ぎだって、岸和田のだんじり祭りだって、馬鹿騒ぎには違いありません。大人が混じっていればたいしたことではないのに、新成人だけだと大騒ぎする。そもそも沖縄の成人式では大量のマスコミが待ち構えていますから、若者としては何かやらないと気がすまない、そんなふうになっているのかもしれません。

沖縄の成人式と並んで紹介されたのは、破綻した北海道夕張市の手づくり成人式です。「市貧しくして、真成人出づ」なかなか立派な式だったようです。

そういえば12年前の阪神大震災のときだって、たくさんの若者がボランティア活動に動き、阪神一帯から若者の問題が一掃されたと言われました(ついでに不登校もほとんどなくなってしまいました)。

人類は長いことかかって、貧しいことや食えないことに対するシステムを開発しDNAに残してきましたが、豊かさや飽食に対する防御システムというものは完全につくり損ねてきたのかもしれません。考えたいところです。

ところで、沖縄の成人式。2〜3年マスコミが無視すれば絶対収まると思うのですが、いかがでしょう?