always 三丁目の夕日の頃

 昨年「always 三丁目の夕日」という映画がヒットして日本アカデミー賞を取ったりしました。昭和30年代の前半の東京の下町が舞台ですが、大通りから一歩入り込んだその町の風景を切り取って、田舎の都市の町外れに落とすと、私の生まれた町になります。それくらいそっくりです。

 子どもたちは年がら年中群れて遊び、昼間から大人がウロウロしていたりします。私の家は新興の平屋の市営住宅の中にありましたが、その住宅の中で畳屋さんをしている人がいます。私の裏の家は駄菓子屋さんで、買い物に来る人が通るたびに、まだ半分くらいは赤ん坊だった弟がギャーギャー叫んで、お菓子をねだります。「おや、おや、ここはまるで関所だワナ」と言いながら、おばさんたちが多少のお菓子を渡して行きます。

 冷蔵庫がありませんので、夏場は毎日夕飯の買い物をしました。母が近所の方と連れ立って買い物に行くのです。夜、調味料が足りなくなったりすると、私が砂糖壷を抱えてお隣に借り行ったりします。塩や醤油も貸し借りできるものでしたが、借り合うだけで返すということはなかったように思います。

 お向かいのウチが幼馴染のケンちゃんのウチです。借家住まいの癖に一室を大学生に又貸ししていて、その学生の部屋からレコードの音楽が流れていたりしました。

 ケンちゃんのお父さんという人はとても怖い人で、近所で子どもが騒いでいるだけで怒鳴りあげたりする人でした。そんなことは分かっているのですから別の場所で遊べばいいのに、私たちは子どもなのですぐに忘れてまた怒られます。

 夜、近所でギャーギャー泣き叫ぶ声がします。たいていは親に怒られる子どもの叫び声です。と、突然泣き声が大きく、はっきりして、戸をガチャンと閉める音がします。子どもが外に出された瞬間です。玄関をトンドン叩いて泣き叫ぶのですが、親は一向に中に入れようとはしません。今から思うと不思議なのですが、もしかしたら近所の中で無言のうちに担当が決まっていたのかもしれません。ケンちゃんや私が追い出されたときは、隣のコーちゃんのお祖母ちゃんがころあいを見て、助けに行ってくれました。そういう人がいて、親も安心して子どもを追い出せるのです。

 小さな林を隔てたその向こうが隣町です。その隣街にヨシユキといういじめっ子がいて、彼の姿が見えると、私たちはギャーギャー言いながら逃げ回ったものです。

 私は単にノスタルジーにひたっているのではありません。小学校の6年生になるまでの間に、いったい何人の大人や子どもたちと触れ合って育ってきたかを数えているのです。延べにすると、おそらく何千人といった人数です。

 翻って、私の娘や息子はどうだったでしょう? 一緒に遊んだ子どもたちは実数でひとり2〜3人といったところ、近所のおじさんおばさんとなると、しっかり付き合った人はひとりいるかどうか・・・それが実態です。

 子どもの性格とか能力というものはコンペイトウのようにとがったりへこんだりしたものです。それが人間関係の海の中で揉まれ丸く磨かれていきます。昔の親は子育てなんかしなくても世間がそれをしてくれたのです。しかし現代は親が意図的に仕組まないと子どもは磨かれていきません。それが苦しいところです。その上さらに、性格や能力のゆがみは「個性」としてむしろ守られています。

 難しい児童の保護者と話をするとき、あなたたちの育て方が悪かったわけではない、というメッセージは常に贈り続けていなければなりません。本当は間違っている場合も多いのですが、そうした子育てしかできなかったのはその親のせいではないからです。