カイト・カフェ

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「日常の良い習慣が繰り返されることがしつけ」~ “本を読むことが当たり前”という家風①

 ふたりの孫(10歳と6歳)を連れて書店へ行った。
 危ないこと、ひとに迷惑なことはせず、
 短い時間で、適切な本を選んでくる。
 毎週、同じようにしているからだ。 (写真:フォトAC)

【東京へ】

 孫3号が絶賛ずりばい中で間もなくハイハイ、やがて歩けるようになるはずです。ところがこの期間が驚くほど短い場合があります。特に私たちのように離れた場所に住んでいると1~2回見ただけで終わってしまう可能性もある。孫1号も記憶にありませんし、孫2号の時はコロナ禍で、結局、直接見たことは1回あったかどうかといった状態です。そこで娘のシーナにとってはおそらく最後の子である3号ドリについては、できるだけ見ておこうと、先月に続いて今月も、日帰りで会いに行ってきました。先週の金曜日、春分の日のことです。

 あいにくの雨で散歩に出ることもなく室内で遊んだ後、昼食を摂ってから孫2号はスイミングへ(1号は別日)、父親が連れていきました。そこからまた時間をおいて、今度は私が孫1号を伴って2号の迎えに行きます。一緒に書店に行く約束ができていたからです。

【書店にて】

 行ったのは駅ビルの中にある、ワンフロアのほとんど半分を占める大きな書店で、娘の一家には行き慣れたところです。

 私は自分のバッグ以外に2号のスイミングバッグも3本の傘も預かっていたので店内に入ることはなく、通路の椅子で座って待つことにしました。1号と2号はしばらく通路側に並んでいる本を見ていましたが、そのうち二人とも中に入っていきます。二人ともお行儀の良い子なので心配なく送り出せます。

 さらにそこから10分ほどして1号が戻ってきて「これがいい」と本を見せ(名探偵コナン関係の本でした)、店のかごに入れて置いていきます。孫2号が戻ってくる様子がないので少し不安になって、椅子から立ち上がって中を覗くと児童書のエリアは案外近く、2号の姿も目の前に見えました。何かの本を立ち読みしています。そしてしばらくすると本を戻し、別の書架に行って何かを確認し、しばらく行ったり来たりしてから急に立ち止まって足を広げると天を指さして、全身で、
「どちらにしようか、なのなのな」
をやって左の本に決め、ほどなく持ってきました。

「どっちが強い!? オオツノヒツジvsバイソン 巨大角でパワフル決戦」というビニル包装してある、どうやらマンガ本です。正直に言うと、マンガであることも気になりましたが、中身を見ずに買うことにはもっと抵抗があって、一瞬迷ったのですが、家を出るとき母親のシーナも何も言いませんでしたから、私も言うべきではないと考え直してそのまま購入しました。

 家に戻って母親に見せると、
「良かったじゃん、これ、前から欲しかったんだよね。いい本買ってもらったね」
と言われていましたから、それでよかったのでしょう。日ごろから書店には行き慣れていますから、親の許さないものは選ばない習慣がついているのです。私も余計なことを言って問題を残さずに済みました。
 後で中身を覗くと、マンガの間に幾度も解説のページが入る、いわゆる「学習マンガ」で、保育園児にふさわしいものでした。

【“本を読むことが当たり前”という家風】

 書店で取るべき態度や留意点が分かって実行できる、適切な本が選べる、その本を楽しむことができる――それらはすべて日常の教育によってつくられたものです。毎週のように書店に行って本選びをするから身につくものであって、口で教えたからといって身につくものではありません。そもそも本を読む習慣だって、家庭にそういうものがあって初めて可能なことです。

 母親のシーナは子どものころから大量の物語や小説を読む子でしたし、父親のエージュは今でもネットから情報を取るより書籍から探すことを好みます。エージュの偉いところは、子どもたちに邪魔をされても、いつでも読書を中断して相手をしてあげられるところです。思考を妨げられても苦にしません。したがって孫1号も2号も、下の子が読書の邪魔をしても怒ることはありません。特に近頃は移動できるようになった3号のドリが2号の邪魔をしますが、2号は父親のやる通り、本を伏せるとしばらく付き合ってあげることができます。
 そのドリも、いつか本を読む子に育つに決まっています。他の4人が読書をしているというのに、自分だけ自ら仲間はずれになることはないからです。
 それが現代の“家風”、人柄と同じ意味での“家柄”です。
(この稿、続く)

(参考)kite-cafe.hatenablog.com