カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「最後に頼れるのは、古い年賀状と古い人間関係だけ」~大黒さんは何処(いずこ)②

 かつての同僚である大黒(だいこく)さんからの連絡が途絶えた。
 そろそろ一緒に人生を振り返る時期だと思っていたのに。
 かくして私の七福神探索が始まったが、
 糸口はあんがい近くにあった。
 という話。
(写真:フォトAC)

【去年の年賀状を頼りにする(残しておいてよかった!)】 

 40年近くずっとやり取りがあって、それも通り一遍ではない人からの年賀状が、今年に限って来なくて不安になったという話をしました。
 忘れられたということならいいのですが、身長に対して体重が多いと言うか、ひとことで言えばかなりの肥満体形なので心配です。年齢を考えれば一般的な意味での万が一のことも万が一ではありません。
 
 幸い昨年の年賀状に電話番号があったことを思い出し、探すとほどなく見つかりました。そこには、
「08▢-◯◯◯―△△△△(こちらに電話をかけると050-▲▲▲―✕✕✕✕と表示されます)」
という謎の言葉。
「え~い!ままよ」とばかりにかけると、08▢では、
「現在、おかけになった相手の通信機器の電源が入っていない、もしくは故障、またはネットワークの故障が発生していると思われます」
 あとの050に直接かけても、
「こちらはBBフォンです。おかけになった番号は、お客様と通信できる機器が接続されておりません」
 要するにつながる条件がそろっていないのです。大黒さんはだらしなく通信料を延滞するような人ではありませんから考えやすいのは契約解除でしょう。それも本人ではなく家族がやった可能性が高い――何かほんとうに暗い気持ちになりました。

【私はしばしば大切な時を逸する】

 丸3年に及ぶコロナ禍のもとで多くの人間関係をなくし、あるいは薄くしてきました。その中で逆に、全体が薄まっていいたからこそ再浮上してくるような人間関係、または再浮上させたくなるような古い関係も見えてきます。40年も前のK氏や大黒さん、B太郎氏との関係もその一つで、実際に会えないにしても、リモートでの飲み会くらいは人生の最後にしたいものだと思っていた矢先です。

 いや正確に言えばそんなふうにしたいと前々から思っていたのに、ぐずぐずと時を過ごしているうちにこうなってしまったのです。それは4年前の「ボヘミアンK氏を探して」事件の時もそうでしたし、「あちこちに不義理をして、ホゾを噛む」事件の時もそうでした。後者についてはその2か月後に不義理をした人の訃報の接することになります(2022-12-05「人はいくつまで生きるべきなのだろう」~亡くなった年下の元同僚の無念を想う)。

 私はいつもこんなふうです。だらしないというよりは心配性でしかも照れ屋で、なんとなく声をかけそびれているうちに大切な時を逸してしまいます。大黒さんもすでに鬼籍に入られたのかもしれません。もうしばらく待てばご家族から寒中見舞いを兼ねた訃報も届くかもしれません。もし来なかったら私の方から手紙で問い合わせてみましょう。その手紙にも反応がなかったとしたら・・・と、そのとき急に思いついたのは、可能性は低いものの、最後まで同じ職場にいたK氏なら大黒さんと繋がっているのかもしれない、ということです。

【大黒さんは生きていた】

 実はそのあとも一山あって、K氏に何回電話しても出てもらえず、もしかしたらこちらも死んでしまったのではないかと怯え始めた翌朝、案外あっさりと繋がって、
「あ、大黒さんなら生きていますよ。先月とつぜん携帯が通じなくなって、たまたま私、固定の方の電話番号も知っていたのでかけたら、出ました」
 聞けば年末、さまざまに厄介な事情があって慌ただしく引っ越したようなのです。そのため年賀状も用意できず、住所変更もしておらず、電話も携帯一本にしてしまったために外部からは途絶してしまったようなのです。K氏がかけた固定電話もその一瞬だけ通じたもので、いまは不通になっているようです。

 ホッとすると同時にメラメラと怒りが沸き上がってきます。しかしそんなことはK氏や大黒さんの責任ではありません。大切だと思う人との関係は日ごろから大切にしなくてはなりません。
 私は深く反省しました。いつものことでその反省が生かせるかどうかは別ですが。

(この稿、終了)