「悪い子」の反対は「よい子」なのか「いい子」なのか、
「行く」の読みは「いく」と「ゆく」どちらが本来の姿なのだか。
調べ始めたらとんでもないことが出てきた。
私はこれまで何を学んできたのだろう。
という話。(写真:フォトAC)
【「悪い子」の反対は「いい子」なのか】
次の◯◯に入る言葉はなにか。
「◯◯子、悪い子、普通の子」
1980年代前半に一世を風靡した「欽どん!」というテレビ番組の人気コーナーの名前です。リアルタイムで見ていた人たちはかなりの年齢になるかと思いますが、知らなくても◯◯に入る言葉は予想がつくでしょう。その上で「良い子」なのか「いい子」なのかは問題になります。
答えは「良い子」。40年余り前だとすんなり気持ちに入るところですが、もしかしたら現在だと違和感を持つ人もいるかもしれません。「いい子」でないとピンとこないという人も多くなっているはずです。
私も文章を書いていてしばしば迷うところですが、「よい」は書き言葉的で「いい」は話し言葉的だと感じても、一昨日お話しした「なんで」→「なぜ」ほどの差はなく、どちらも普通に使えそうです。それでいて「良い」はやはり格式ばった感じで、「いい」は気楽な感じがするような気もします。
調べると「良い」と「いい」はほぼ等価で、そもそも一方が他方に変化したというようなものではなく、成り立ちからして違うようです。
【「よい(良い)」と「いい」】
「よい」は歴史も古く、『日本書紀』『万葉集』の時代から使われていてその終止形は「よし」。それに対して「いい」は江戸中期から使用例のある言葉で、元になったのは「えい(ゑい)」または「ええ(ゑゑ)」という侠客の話ことばだったようです。その「えい(ゑい)」が「いい」に変化していった――。
そう言えば時代劇や古い芝居などではお年寄りが、
「ええ子じゃのう」
と子どもを誉める場面があって、てっきり私は「いい」が訛って「ええ(またはえい)」になったと思っていたのですが、順序が逆でした。「ええ(またはえい)」が「いい」になったのです。
昨日「古い言葉は辺境に残る」と言いましたが、年寄りの口に残るのはある意味で当たり前です。
ですからどちらを使ってもよさそうなものですが、「よい」を使えば少し古めかしく、少し硬くなること、そして「よい」には活用形が揃っていることも、覚えておくと何かと便利です。
「よ(かろう)」「よか(った)」「よい」「よい(とき)」「よけれ(ば)」(形容詞の活用には命令形はない)
「いい」の方には終止形の「いい」と連体形の「いい」しかありません。しかし言葉は生き物、なかなか原則的に行かない面もあって、「いい」の連用形は方言として「いかった」などとして存在するのです。最近の若者も「いかったね」などと言いません? 面白いものです。
【「いく(行く)」と「ゆく」】
今回思いついて調べ直したことの三つ目は「いく(行く)」と「ゆく」です。
私はやはり「行く」は、「いく」でないと気持ちが悪い。もしかしたら子どものころ、日本語を覚えて増やしていく過程に、頼りにしたのが人との会話より書物だったためかもしれません。私の日本語は、書き言葉に忠実な面が強いようなのです。
昨日も申し上げたように、「言う」は書き言葉では「いう」なので私も基本的に「イウ」と発音するのが日常です。「ユウ」に近くなることはあっても「ユー」には絶対なりません。なぜなら子供向けのどんな本を見ても「ゆー」と書いてあるものは絶無だからです。
同様に「行く」は平仮名書きだと「いく」であって「ゆく」と書くことは普通はありませんから、私の発音も「いく」になります。動詞としての活用形も、
「いか(ない)」「いき(ます)」「いく」「いく(とき)」「いけ(ば)」「行け」と揃っています。
だから「いく」が書き言葉的で、固く、古い感じがして、「ゆく」が口語的で文章になじまない――となんとなく思っていたのです。「ゆく」は過去形にもできませんし――。
もっともそんな私でも、ピンと来ないのが「行方不明」です。気持ちとしては「いくえふめい」と発音したいのですが、これがすこぶる言いにくい。しかも発音できたとしても、榊原郁恵ちゃんがどこかに行ってしまった(郁恵不明)みたいな感じになって意味も取りにくくなります。極めつきはワープロで、少なくともwordでは「いくえふめい」で変換することができないのです(幾重不明・・・何重にも不明?)。
【驚くべき事実】
この問題はこれまでも気になりながら、無精で放置してきたものです。それが今回調べたらとんでもないことになっていたのです。
「いく」も「ゆく」もともに万葉集に出てくるほどの歴史ある言葉で、どちらが正しいとかどちらが正式とかいうことのないと、そこまでは簡単に受け入れられます。ところがNHK放送文化研究所の解説によると、
一般的に、「ゆく」は文章的ないし詩的な文脈で使われ、「いく」は口語的・日常的な文脈で使われます。
だといいます。「いく」が文章的で「ゆく」が口語的だと、漫然と思っていた私の感じ方と正反対だったのです。
しかもこの話はNHK放送文化研究所のサイトの「最近気になる放送用語」「街道をゆく」のページにあったものなのです。
言われてみれば同じ司馬遼太郎の有名な小説も「竜馬がゆく」、大晦日の紅白歌合戦の後番組は「ゆく年、くる年」、軍歌は「海ゆかば」、唱歌は「更~けゆく」、松尾芭蕉は「行く春や鳥啼き魚の目は涙 (ゆくはるや とりなき うおのめはなみだ)」と、「ゆく」の方が文語的・書き言葉的である証拠はいくらでも出てきます。
私は今日まで何をやってきたのでしょう?
(この稿、終了)