カイト・カフェ

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「中学校から小学校の教員へと異動して、何を見ました?」~元教え子の質問に答えて

 30年以上前の教え子からFacebookを通して質問が来た。
 先生は幼少期の教育がなにより大切だといったが、どういうことか?
 昔、中学生だったころの私たちの、何を見てそう思ったのか。
 実際に行ってみた小学校はどうだったのか――そして私は答える。
という話。(写真:フォトAC)

【質問】

 T先生
 お時間のある時にお返事頂ければ嬉しいです。
 先生は私達の担任の後に小学校に行かれましたよね。あの時に「小学校での教育がより重要に感じた」といって異動されたと記憶しているのですが、具体的に私達のどの様な姿を見てそう感じましたか?
 また異動してみてどうでしたか?
 音大で中高の教員免許取りまして都内の中高一貫校で教員をやっていました。その時に私も子供達の様子を見て同じことを感じたので質問してみました!
 本当に急ぎません
 

【思い出してくれてありがとう】

 連絡ありがとう。
 何かあったときに(何もなくても)質問してもらえるというのは嬉しいことです。思い出してもらえたということですから。
 定年退職から10年、途中コロナ禍もあって人間関係はスカスカとなり、ひとと話をすることすら珍しくなってなにか寂しい思いをしていました。ですから質問は大歓迎です。
 私、知らないこと以外は何でも知っています。
(と言うとたいていの小学生は本気で感心してくれます)

【本当の気持ち】

 さて、
「小学校での教育がより重要に感じた」
 私がそう言って小学校へ異動したのは間違いないところです。しかし内実は少し違う感じたものだったのかもしれません。

 中学校教師としての10年目を終え、教師としての誇りも自信も持ち始めた時期でした。プロの教師ですからどんな子の担任になっても親のせいにはしない、小学校の先生や小学校の教育のせいにはしない、そう決めて実践してきたのですが、それにしても毎年150人ほど受け入れるその中には、ひとりやふたり、いやふたりか三人、
「これ、中学校3年間ではどうやったって回復できんだろう、間に合わんだろう」
と、首を傾げる子がいるのです。
「小学校6年間でもう少し人間っぽく育てられなかったのか?」
と思うような子たちです。

 勉強ができないとかはかまわないのです。しかし「掃除ができない」というのはいかがでしょう? 帰りの会でしゃべり続け黙っていられないというのはどうでしょう? 委員会の仕事を友だちに任せ、いつの間にか帰ってしまうとか、忘れ物をするのは仕方ないにしても、することに全く無頓着なのはやはり困ります。隣の教室の知らない子の机から勝手に持ってきて、なに食わぬ顔をするのもやめてほしい、その教科書、なんで裏向きに机に置くんだ? お前とは別人の名前が書いてあるじゃないか――。

 そんなふうに書くとあなたの頭にも具体的な元同級生の顔が何人か浮かぶことでしょう。あの子たち、小学校でもう少し育ててもらってもよかったじゃないか――、そんなふうに思いませんか? あんな状況で中学高校と進んだら、将来苦労するのは目に見えているじゃないですか。
 子どもは、小学校でいったい何をやっているのか、何があったのか、何ができるはずだったのか、この際一度行って見てきてやろう――それが私の小学校に異動した一番の理由です。
 あなたたちの姿に何かを感じて小学校に行こうと思ったわけではありませんし、あなたたちの姿から小学校教育が大事だと考えたわけでもありません。ごく一部の子たちの話です。

【小学校では間に合わない】

 もうひとつの問い合わせ、
 異動してみてどうでしたか?について――、

 小学校1年生まで降りて学級担任をして、分かったことは、
「小学校では遅すぎる」
ということです。
 これは単に1年生の担任をしたから分かった、というだけではありません。ちょうどそのころ二番目の子どもが生まれて、その子を育てる中で気づいたことも大きいです。
 親になったことのある人なら皆、知っていると思いますが、子どもは生まれた瞬間にすでにたくさんのものを抱えているのです。ですから生まれたその瞬間から、あるいは遅くても言葉が喋れるようになるころまでには、しっかりとした躾は始められなくてはなりません。

 私は迂闊で、最初の子(女の子)が育てやすい良い子だったのでおっとりと構えていましたが、その自信は下の子が生れるとあっという間に崩れてしまいました。上の子が扱いやすかったのは単に女の子だったからで、男の子は別物、生まれながら相当に厄介なのです。 
 ある生徒指導の専門家の先生(小栗正幸という人です)は「犯罪者になりやすい最も危険な因子のひとつは、男の子であること」とさえ言いきっているほどです。

【生まれながら難しい子たちがいる】

「赤ん坊の三分の一は育てにくい子だ」という言い方もありますが、さらに重ねて発達障害などがあったりすると、親の育て方云々の話ではなくなってきます。
 その母親はしばしば《子どもを生かしておく》ことに必死です。いつ道路に飛び出すか、いつ群衆の中に紛れ込んでしまうか分からないからです。また親たちは年がら年じゅう、誰かに頭を下げ、謝り続けなくてはなりません。その子がしょっちゅう友だちを蹴ったり叩いたり、汚いことを言ったりして傷つけているからです。本当に心休まるときがありません。
 そんな親にとって「この子は将来きちんと責任を果たせる大人になるだろうか」とか「ひとの役に立つ人間に育つだろうか」とかいったことはすべて二の次です。しかたないでしょ? 子育ての目標をそんな高いところに置いても、目の前のことができないのですから。
 こうした親御さんたちに向かって、子どもの躾が不十分だとか親としての責務を果たしていないなんて、誰が責められるのでしょう?

【本当は先生たちが何とかすべき】

 やはりそういう仕事はプロが手伝わなくてはならないのです。子育ての責任は親にあるといっても普通の親は教育学や教育心理学を学んでから親になるわけではありません。躾は親がしっかりしろといわれても、何をどうしたらいいのか、まるで分かっていないのです。
 私は保育園や幼稚園、小学校や中学校の先生たちがプロとしての自覚と専門性をもち、積極的に子どもを指導して保護者を支えて行かなくてはならないと思っています。他にやれる人がいないからです。

 しかし私でも、今の先生方にはそれを行うべき余力がまったくないことは分かります。私があなた方の担任をしていた頃なんて、総合的な学習の時間もキャリア教育も全国学力学習状況調査も教員評価も学校評価も、小学校英語もプログラミングも、そんなものは全然なかったのです。
 今ほど児童・生徒、そして保護者の気持ちを忖度しながら行動することもなく、コンプライアンスなどに手足を縛られることもありませんでした。

 学校にどんな子が上がってきても、本当は先生たちが何とかすべきなのです。そのために平成になって学校教育に加算されたものをすべてはずし、教職員の数を大幅に増やすしかありません。それができなければ、学校教育はきちんとした仕事ができず、社会は後になって莫大な請求書に悩まされることになります。
 親にも学校にも躾けてもらえなかった子たちが社会人として多数派になるわけですから。

【しつけは幼少期が大事】

 「小学校での教育がより重要」ということに関わるもうひとつの話をしておきましょう。
 それは和田英という人が書いた「我母之躾(わが、ははのしつけ)」という本の中にある「松を見よ」という一節です。「我母之躾」は江戸時代の終わりごろ、和田英さん自身が母親から受けた家庭教育について記録したものです。

「子を育てるには、授乳の時期からだんだん仕込むようにしなくてはだめだ。
 まだ小さいからといって、気ままにさせておいて、さあ大きくなったからといって、急に行儀だ言葉だとやかましく言っても、直るものではない。
 あの植木を見なさい。小さい時からいつも気をつけて手を入れた木と、生えてきたまま自然にしておいた木と、どのくらい違いがあるかしれない。
 大きくなって枝を曲げたり切り込んだりしてみても、木が傷むばかりで、とても小さな時から手を入れた木のようにはならないものだ。
 それと同じことで、はいはいをしない前から気をつけて教えていけば、ご本人は少しも難儀ともつらいとも思わずに、自然にいろいろ覚えるけれど、大きくなってしまってから急に行儀を教えると、本人は窮屈で苦しいものだから、人前ばかりで行儀をよくしても、人のいない所ですぐくずしてしまうので、とてもほんとうの躾はできない」  
 よくわかる話でしょ? 同じことでも、小さなうちから丁寧に指導されれば、される方もする方も、苦痛が少ないのです。