カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ミースケは歩くことさえできなくなった」~死にゆく小さな者の記録②

 ウサギのミースケはいよいよ歩くこともできなくなってしまった。
 エサも食べさせてもらわないと満足に進まない。
 これとは別の話だが、近所で私と同い年の方が亡くなった。
 ウサギと一緒にしてもいけないが、いろいろ考えさせられる。
 という話。(写真:SuperT)

【ミースケは歩くことさえできなくなってしまった】

 ミースケはお尻のきれいなミニウサギでしたが老衰のためにトイレが分からなくなってしまい、のべつ幕なしにフンを落としオシッコを垂れ流すようになって、さすがに部屋での放し飼いというわけにはいかなくなりました。そこで夜間はケージの中、昼は私が縁側につくった運動場で生活させるようにしました。それが2週間前のできごとです。

kite-cafe.hatenablog.com しかし運動場に移して間もなく、ミースケは歩くこともままならなくなってしまいました。

 前足の踏ん張りが利かないのか腰が抜けてしまったのか、何か意思通りに動けていない感じで、顎を床に着いたままカタコトと慌てたような動きで、前へ前へと進んでしまったりしています。運動場の柵からつるしたキャベツを食べに行っても止まることができず、葉をいったん頭にかぶってからそのまますり抜けてしまうのを、私はほんとうに悲しい思いで見ているしかありません。

 また、主食のペレットの鉢に頭から突っ伏して眠っているかのように見えるときもあり、最初あわてたのですがどうやら枕代わりに、そして「気が向いたら食べればいいや」という感じで、それも悪くないのかもしれません。ただし同じかっこうを長く続けるのも苦痛のようで、いったん姿勢を変えるとまた顎を押し出すような奇妙な姿勢であちこち動き回り、柵のどこかの角まで行って止まって、なんだか鉄格子の間に挟まれたような格好のまま、しばらく過ごしたりしています。
 稀に柵のないところで“香箱座り”という、猫がよくやる前後の足をうまく畳み込んで丸くなる形にうまくはまって、これも楽そうなのですが長くは続きません。
  
 食事も摂りにくそうなので昨日はダッコで口元までエサを運んだら、とんでもない量を食べてしまいました。
 窓から入る日差しを浴びて、香箱座りでまどろんでいたりする様子を見ていると、
「もう、いい。十分に生きた。苦しむことなく早く死になさい」
と言ってあげる気分になるのですが、あんなに食べるようではまだまだ先は長いのかもしれません。

【人間の死】

 先週土曜日の朝、隣組の組長さんから電話が来てご近所に不幸があったことを知りました。隣組と言っても私の家は一軒だけ組に背を向く形になっていて、日常の付き合いもなければ隣家の様子をうかがい知ることもできないようになっています。そのために気づかなかったのですが、数軒先の夫婦の奥様の方が亡くなり、日曜日が通夜、月曜日に葬儀ということになったのだそうです。
 まだ70歳前の私と同い年です。そう言えば一昨年、私が組長で何回か集金等で回ったときも、すでにずいぶんやつれた雰囲気だったことを思い出しました。

 日曜日に伺ってご主人の話を聞くと、35年ほど前にやった乳がんの再発だということですが、それほど昔のがんだと再発と言わないでしょう。最後は後腹膜のがんだったとか、腰に転移したとか言った話もあり、私には骨転移は痛いという思い込みがありますので、何か本当に切なくなりました。
 見ることのできた御遺体は頭にタオルのようなものを巻いており、抗がん剤で髪を落とされたことを思わせます。のっぺりとした顔には頬骨が強く突き出し、ひどく痩せて生前の顔が浮かんできません。
 最期の病院通いはご主人に半分背負われてという話も伺い、思わずため息が出ます。

 70歳前とはいえ短すぎる人生だったわけではありません。その間、楽しいことも面白いことも山ほどあったと思いますが、辛いことも苦しいこともたくさんあったはずです。そんな人間が、死ぬに際してなお苦労と苦痛を重ねなくてはならないのは、いったいなぜなのでしょう。神様はもっと人間に優しくなさってもかまわないじゃないか、そんなふうに思うのです。
 ただ一方で、それぞれ市井の私たちも含めて、大いなる人生を送ってきた”人間“が死ぬのだから、ただで済むはずもない、そんな気持ちもあったりします。

 ウサギと人間を一緒にしてもいけませんが、いま死のうとしてる小さな命を見つめながら、私はさまざまなことを考えさせられています。

ローランサンの馬】

 

  
    マリー・ローランサン

傷ついた馬は 声も立てずに死んでいく
優しい馬よ
私は、お前が死ぬのを見に来よう

 

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