「マリーの馬」~詩を書くときの心得

 世間では3連休の方も少なくないこの三日間、
 たまたま小春日和のような暖かな日が続いたので果樹の剪定に働きづめでした。
 一心不乱に何も考えず働いたので月曜日(成人の日)の夕方、
「明日のブログに何を書こうか」
と考えてハタと困ってしまいまいました。
 何も思い浮かばない・・・。
 そこで昔、国語の授業で「詩」の学習をしようという時、子どもたちに話したことを、書き写して終わりにしたいと思います。
 何でもかんでも記録に残しておくと、こんな時に役に立ちます。 

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  フランスのマリー・ローランサン(1883~1956)という画家は詩人としても有名でした。この人の作品に『馬』という詩があります。

     馬

 傷ついた馬は 声も立てずに死んでいく
 優しい馬よ
 私はお前が死ぬのを見に来よう

 たった3行のこれだけの詩です。しかし意味には非常の深いものがあります。ところで、なぜこの馬は「優しい」のでしょう。

 言うまでもありません、それは「馬」が「声も立てずに死んでいく」からです。
 たとえばこれが身近な人間で、死に至る重い病気で、その人が「痛い」「苦しい」「何とかしてくれ」「死にたくない」などと大声で叫び続けたとしたらどうでしょう?
 そうです、私たちはそれに耐えられません。
 苦しんでいる人が助けてくれといっているのに何もできない、ただそこに立っているしかない、そんな苦しみに胸は張り裂けてしまうかもしれません。

「馬」が声も立てずに死んでいくのはそのためです。どうしようもない苦しみを友だちに与えたくないから必死に、歯を食いしばってがんばるのです。

 さて、そんな優しく強い「馬」に対して、私たちのできることは何でしょう。
 「優しい馬」の強烈な友情(愛情)に対して私たちのできることは、自分たちもまた、最も苦しいことを進んで引き受けようとすることです。愛する者が死のうとしているときにそばにいて、その死を見つめ、馬が一人ぼっちではないことを伝え続けることです。だからマリーは「お前が死ぬのを見に来よう」と言うのです。

 この詩は決して動物愛護の詩ではありません。「馬」はあくまでも象徴で、本来は人と人との友情(=真の愛情)のあり方を描いたものです。しかしここで「馬」を「友」に置き換えると、どうにも詩が薄っぺらになります。なぜか分かりませんがここは「馬」でないと緊張感が保てないのです。

 ところで私はこの詩を説明するのに14行(471文字)も使ってしまいました。余計な言葉がたくさんあるからです。わざわざ言わなくても分かることもたくさん書いてしまったからそれだけの分量になります。その余計なものを削りに削って行くと、どこまで短くできるでしょうか?

 その答えがマリー・ローランサンの3行(37文字)なのです。これが詩のひとつの書き方です。これしかいないという珠玉の「言葉」と「言葉の組み合わせ」によって、最高のパフォーマンスを引き出そうというのが詩なのです。

 さてキミたちは今日から詩の勉強をして学校文集に載せる作品をひとつつくり上げるのだけれど、その時考えてほしいことのひとつがこれです。
 詩は作文ではありません。
 そこで必要なのは「これしかない」という珠玉の言葉、そして限りなく削っていくという作業です。