カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「ほんとうに大切な言葉は血肉となって、意識のレベルには浮かんでこない」~人生の答え合わせ④

 学生時代の仲間と飲み、翌日は会社員時代の先輩・同僚と昼食。
 一日おいて翌々日には昔の教え子が訪ねて来た。
 わずか4日間で、
 人生の20年分ほどを振り返ることになった、
 という話。
 (写真:フォトAC)

【元教え子たちが訪ねてくる】

 既に一週間以上前の話になりますが、大型連休の開けた7日、週日だというのに三十数年前の教え子が3人、私の家を訪ねてくれました。4日に大学時代のゼミの同窓会をやって5日に会社員時代の先輩と同僚に会い、一日置いて7日に中学校教諭時代の教え子と会ったわけです。わずか4日で20年分くらいを振り返ることになりました。

 訊ねて来た3人のうち女性ふたりが東京在住で、車を運転してきた男性ひとりは三十数年前の私の赴任地で今も暮らしています。それについては一昨日もお話ししました。今回の来訪は東京在住の女の子のひとりが帰省したのを機に、地元の男の子と二人で私のところに来る計画を、直前になってもうひとりの女の子が聞きつけ、家族を東京に残したまま急遽里帰りしたところから実現したものです(女の子、男の子と言っていますが、3人ともすでに40歳代半ばです)。
 
 夕方以降また予定があるみたいなので、午前中から私の住む街のレストランでお茶と食事をし――という話でしたが、同じ店に長々と居座るのは気が引けますし次々と場所を変えるのにも外食の経験がなさすぎてお店を知らず・・・ということで、まずは私の自宅でコーヒーでも飲みながら話をして、そのあと近くのレストランで昼食を摂ってそそのまま別れるという計画にしました。結果的にはレストランからまた家に戻り、都合5時間以上も一緒に過ごすことになったのですが。

【ほんとうに大切な言葉は血肉となって意識のレベルには浮かんでこない】

 元教え子と話すとき自然と気になるのは言うまでもなく近況。私が中学校で教えた子どもたちはほとんどが超氷河期と呼ばれた時代の就職組ですので、40歳代半ばとなった今の状況は特に気になるのです。男性の多くが未婚のままその歳まで来てしまっています。
 次に気になるのが、その子の中に残っている《私》です。理想を言えば私の語ったことが血肉となって言葉の端々から感じ取れる、しかし《私》から聞いたことを本人も覚えていない。例えば、
「いやあ、誰から教えてもらったのか覚えていないけど、オレ、こういう言葉を大事にしてるんだよな」
とか言って私の語ったことが出てくればそれが一番いいのですが、困ったことに、どうでもいい話に限って《私》の名前つきで記憶されていることが少なくありません。

 今回の男の子の話でいえば、
「東京へ行って喫茶店でレモンスカッシュを『レスカ』と縮めて注文するカッコウいい人を見て、思わずクリームソーダを縮めて『クソ』と注文したらカレーライスが出て来た」
などといったバカ話。学生時代の私の周辺で流行っていたものですが、覚えていなくていいことなのに覚えていました。

 カレーと言えば女の子のひとりは私が教室で泣きながらカレーを食べていたという話を繰り返しして、
「私、家でもカレーを食べるたびに先生のことを思い出すわ」
などと言っています。
 家庭科で調理実習のある日なのに給食を止め忘れ、1食分まるまる出て来た給食を生徒に頭を下げて半分は食べてもらったものの、さすがに食べきれず、しかたないので私が残り全部を食べようとした。けれど40人分の半分はひとりで食べきれず、最後は泣きながら食べ続けたというのです。
 まったく覚えてないのですが、給食の止め忘れも「意地で、ひとりで、給食完食」も、いかにも私のやりそうなことです(たぶん、泣きはしないと思うのですが)。

 私は教員生活を通してずっと、朝は子どもたちに「いい話」「ためになる話」「面白い話」をしようと努めてきましたから、この子たちに語った話は3年間で少なくとも660話はあるはずです。きちんとしたことも、考えさせられることも、びっくりすることも、感心することも、さまざまにあったはずです(そうなるよういつも考えていたのですから)。しかし案外、記憶として話してくれない――。
 くだらないことしか思い出してくれない元教え子たちですが、ほんとうに大事なことは血肉となって体に染みつき、もう私から聞いたことだと覚えていないのでしょう。
 そういうことにしておきます。そうでなければ訊ねて来てくれるはずもないと――。
(この稿、続く)