齢を取るとできないことが増えてくるが、
できないことは機能面ばかりではない。
人生の終わりが見えないので計画が立てられないのだ。
若者よ、これが終活の困難だ。
という話。
(写真:フォトAC)
【95歳がペットを飼えとそそのかす】
95歳の母の2番目の姉が先月98歳で亡くなりました。その上の姉は101歳でなお元気なようです。
その亡くなった姉の通夜の日、母を連れてお別れに行くと、姉(私にとっては伯母)が可愛がっていたマルチーズが、さかんに母の足に絡みついてきます。母は伯母と双子とみまごうほどに似ているのです。きっと犬にとっては匂いも近いのでしょう。やたら足元でツンツンしてみたり母の周辺で回ってみたりで、それで母は恋に落ちました。
しかしなんといっても95歳です。それにもともと生き物などかわいがる人ではありませんから二の足を踏んで、私をそそのかしたりします。
「おまえ、何か生き物を飼ったら?」
「犬なんかがいいんじゃない」
私は私で2月にウサギのミースケを失ってペット・ロス状態ですからこのテの誘惑には弱い――しかし「待て、待て」です。95歳の母は論外ですが、私だって老い先は短いのかもしれないのです。いつ死ぬか分からないような人間があとさき考えずに生き物など飼っていいはずがありません。
【車が買えない】
先を考えるとうまく運ばないコトはいくらでもあります。とりあえず車が買えない。
現在乗っている自家用車は退職金の見積もりを間違えて買った身の程知らずの「なんちゃって高級車」ですが、今年で10年、走行距離も16万キロを越えました。走行距離はもちろん年数を考えてもそろそろ代えどきなのですが、これができない。
よく見るとボディの裏から腐食も始まってヤバイ部分もあるのですが、とにかく故障もせずよく走る。外観も内装も性能も気に入っている。
自家用車全体としてはこの10年、安全システムなど飛躍的に進歩しましたが、こちらはもともとが「なんちゃって高級車」ですから当時の最先端が搭載されていて、今もあまり遜色がない。そして何より、新車を買おうにも欲しい車がないのです。
だったら買い替えなければいいというのが単純な結論なのですが、そうは言っても向こう10年、20年と乗り続けることもできそうにありません。いずれ買い替えることになるとして、あと5年、今の車で頑張って新車に買い替えて・・・そのあと1年で死んじゃったらどうするんだ? というのが今の私の悩みなのです。
そんなことなら多少気に入らなくても今すぐにも買い替えて新車を楽しんだらどうだ、というのも別解となるのですが、そんなことをしてこの先10年も生きることになったら、「気に入らない車」でずっと我慢しなくちゃいけないわけで、それも嫌です。
【庭もいじれない】
家も築30年となって建物よりも先に庭木が傷み始めました。そもそも早い段階からきちんと手を入れ続ければよかったのですが、数年放ったらかしにしてすっかり幹を太くしてしまった木々は、多少剪定したところですぐに巨木になってしまいます。
10年経てば私も弱って剪定ができなくなります。そのころになってあちこち伐採し生け垣もフェンスに取り換えて――と、”そんなことなら今からやって、このさき何年にもわたる剪定の苦労から解放されればいいのに”と思うのですが、いったんそう決めてから思い直し、”いや、やはり金を使うのは最後の最後の手段、自分で剪定できるうちは頑張ろう”と妙に殊勝な気持ちになって先送りにしたりもします。要するに迷うのです。
これが30代くらいだったら決心は早い。
“向こう40年も剪定し続けなければならないのなら、今のうちに取り払ってしまう。かかった費用は、この先ゆっくり稼げばいいや”
とあっさりしたものです。
――ああそうです。もしかしたら昨日も話したように、「今後、稼げばいいや」がないからいけないのかもしれません。
【若者よ、これが終活困難だ】
私も昔はこんなではなかったのです。早計なくらいに決断は早かった、あとでどうとでもなると勝手に思っていたのです。しかし今は「あとでどうとにでもなる」の「あと」がないのかもしれないのです。
それが齢を取るということ、人生がいつまで続くか分からないので、終点から逆算で計画を立てることができないという終活の難しさなのです。