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「30年後の学校」~国の政策をどのように変えさせるか、本気で考えてみた⑥

 度重なる教育改革によって生まれた新しいものはなくせない。
 消せるのは部活動と特別活動と生徒指導、そして粘っこい人間関係。
 子ども同士の人間関係は地域部活とSNS、ネットゲームへと移る。
 そして教師の役割も半減する。
 という話。
(写真:フォトAC)

【部活動は30年かけて完全になくす】

 政府も地方自治体も本気で考えていますから、今度こそ部活動は学校から切り離されて行くかもしれません。しかし2025年までにとか2030年までにとかいった短期間には成就しないでしょう。
 山間・離島で地域移動と言われても指導者を見つけ出すのは容易ではありません。結局、地域に残ったOB・OGが担うしかありませんが、この人たちは地域社会の役員だとか地域文化の継承だとか、二重三重どころか十重二十重に仕事を背負っていますから意外と難しいかもしれません。

 遡って創立の際に地域に多大な迷惑をかけたといった部活も学校から切り離すのは困難でしょう。代表的なのが吹奏楽部で、地域から寄付を募って楽器を揃えたといった背景があると、潰すのは厄介です。立派な屋根付きの土俵だの、スケート部の夏期練習用に造ったローラースケート場、ボートやカヌーの倉庫なんていうのもあります。
 しかし部員がゼロになってしまえば諦めもつくでしょう。そこが狙い目です。
 
 いずれにしろごくわずかな例外を除いて、さすがに30年も経てば中学校から部活動はほとんどなくなっています。もちろん地域の若年スポーツクラブや文化サークルは今よりずっと充実することになって、中学校数校にひとつくらいの割合でさまざまなクラブ―チームや団体が生れます。しかもいまよりずっと優れたものになるはずです。
 
 なにしろ専門のコーチが有料でやっているような組織です。素人教員が学びながら教えていた学校部活時代とは知識・経験において圧倒的な差があります。有料であるための責任もあります。
 参加している子どもも違います。有象無象の運動オンチまでが入って走り回っていた学校部活のような非効率はなくなって、ある程度の能力があって保護者に送り迎えや経済的余裕のある子たちだけが対象者です。競争も厳しいですから運動技能を高め、戦いの場としてのプロや世界も見えてこようというものです。子どもの追っかけは優秀な子どもを持った保護者だけの特権です。

【特別活動は今後も深く刈り込まれていく】

 部活動は教員の働き方改革の本丸として語られることが多く、部活さえなくなればすべてが解決するような言われ方をした時期もありますが、時間外労働は小学校でも大きな問題であり、教員採用試験の倍率低下や担任不在問題は小学校でこそ危機的な状況にあるものです。したがって中学校部活の廃止以前に、小中共通の課題を解決しなくてはなりません。それは日常業務です。
 
 生活科や総合的な学習の時間、全国学力学習状況調査、学校評価・教員評価、開かれた学校づくり、学社連携、キャリア教育・環境教育・コンピュータ教育・薬物依存防止教育など数えきれないほどの追加教育――そういった新たなものが減らせない以上、削減できるのは古くから定評のある特別活動だけです。
 
 清掃の時間を隔日にしたり、運動会や音楽会の日程を半日以下にしたりと、すでに部分的に削減は始まっていますが、入学式・卒業式のくだらない校長講話や来賓の話はやめろとか、クラスマッチや水泳大会への参加強制が運動嫌いの子を増やしているといった話がまことしやかに語られる昨今、こうした行事も次第に減らされていくに違いありません。演劇鑑賞や音楽鑑賞も、参加強制で芝居嫌いやクラシック音楽嫌いを増やしてもいけないからやめです。親に連れて行ってもらいましょう。
 
 特別活動は日本人を日本人に育てる教育ですから、なくなることは昭和人間の私としては非常に寂しい気持ちがします。しかし悪いことばかりでもないでしょう。
 何といってもこれは活動の中で困難に出会わせ、それを乗り越えようとするところから人間形成を図る教育ですから、どうしても人間関係が濃くなりがちです。したがって「だからこの時期に生涯の親友と出会うことがある」「一生の付き合いが始まる」という面もあるのですが、他方で関係が濃いからこそイジメも生まれるのです。学校に来て机を並べて勉強し、そして帰る――これだけだったらイジメなんて起きません。
 
 さらに特別活動がなくなれば、教師と児童生徒の関係も変わってきます。
 清掃や児童生徒会・学級会、各種行事といった特別活動の場で変に児童生徒を鍛えようとする教師がいるから体罰パワハラも起こるのです。濃い人間関係はしばしば児童生徒を苛つかせ、そこから教師を挑発する子も出てきたりします。そういった粘っこい活動の場がなくなれば、こうした問題もぐんと減ってきます。

【生徒指導・躾に関わる問題も学校からなくなる】

 いじめや対教師暴力、教員による体罰パワハラなど、校内の問題が減少するとともに、学校が対応しなくてはならない校外の問題も減ります。学級活動や部活動のなくなった子ども世界は、ネットゲームやSNSでつながった学校の垣根を越えた関係ですから、一校の教師のとやかく言えるものではなくなっているからです。
 さらに夜間や休日に担任と連絡がとれなくなれば、子どもの犯罪に関わる生徒指導もできなくなります。金曜日の夜の万引きの指導を、月曜日の午後に行っても大して役には立ちません。親と警察に即日で対応してもらい、あとで報告だけもらうということになります。
 
 生徒指導は武闘型教師にとってはもっとも面白い分野でした。何しろ悪い方へ行きたがる子ども――正確に言えば悪い方向へ行かざるを得ない状況の子どもたちの、その弱い心に直に手を突っ込んで、無理やり方向転換を図るというダイナミックな仕事ですから、面白くないわけがないのです。
 しかしそうした面白さ、やりがいが、この仕事を限界まで多忙にしてしまった大きな原因のひとつですから、放置しておくわけにはいきません。なくしましょう。そしてやがて教職は「免許さえ持っていれば誰にでもできる普通の仕事」に変化していきます。それとともに安定志向の、普通の学生たち教員を目指す時代が戻ってくるでしょう。

【そんな大規模な変化を、学校や社会は受け入れられるのか】

 大丈夫です。変化は5年~10年で起こるものではなく、30年もかけて行うものです。近ごろ教員不足からくる教師の質の低下が心配されていますが、まだまだ教職の主力は平成採用の教員たちです。この世代の、特に前半の人たちは異常に頭が良くて、たいていのことはその能力でやり遂げてしまいます。困難ももろともしないでしょう。さらに定年延長や講師の必要性からかなりの数の“昭和”も残っていますから何とか軟着陸させてくれるでしょう。
 また、教職は職人芸ですから、いま現場で苦しんでいる若い教員たちも、10年も経てば多くは苦もなく学校を振り回す有力な戦士となっています。学校はどうとでもなります。
 それになんといっても、部活もなく特別活動も衰え、子どもの人間関係が学校外に移って教員たちの支援が亡くなる30年後の時代、そのために不安になったり苦労したりする小中学生の保護者たちは、いまはまだ保育園に通っているか生まれてもいないのです。文句を言うはずがありませんから安心しましょう。

(この稿、終了)