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「“置き勉はできないので、重いランドセルで帰ってください”と先生は言った」~ランドセルの何が悪い!②

 小学生の使うバッグとして、ランドセルほど完璧なものはない。
 悪いのはランドセルではなく、置き勉を許さない学校なのだ。
 しかし学校にも言い分がある。
 置き勉って、どうやったらできるのですか?

という話。

(写真:フォトAC)

 

【ランドセルは完璧な通学バッグ】 

 1887年(明治20年)に伊藤博文が当時の皇太子(のちの大正天皇)に贈って以来135年、ランドセルは改良しつくされた完成品です。素材以外ほとんど改善の余地がありません。それだけ優れたもので、これを上回る完成品はコルト45くらいのものでしょう。何が優れているのか――。

 まず丈夫だということ。
 多くが数万円もする高価なものだけあって、6年間、修理しなければならないことはめったにありません。普通の小学生がランドセルをどんなふうに扱っているか、下校途中の公園で観察すればその丈夫さが驚異的であることは一目瞭然です。

 バッグとしての機能も完璧です。
 とりあえず自立するということ。ビジネス用もそうですが、自立しないバッグは置いておくのに不便、ものを探すのに不便です。エコバッグから何かを取り出そうとしたら、一方の手で持ち手を必ず引き上げていなくてはなりません。しかし自立するバッグだと両手を突っ込んでものが探せます。
 ランドセルの場合は硬さがありますから、寝せたかたちでも出し入れができます。そんなことのできるバッグは簡単には見つかりません。

 学用品に特化したものですのでA4の教科書やノートがピッタリと収まります。大型のビジネス用バッグの中には書類が内部でずれて扱いにくくなるものがありますが、ランドセルでは考えられないことです。またポケットが学用品に合わせていくつもついているので、整理もしやすいし、出し入れが簡単。

 ベルトが幅広で十分な緩衝材が入っているので肩が痛くなりにくい。かなりしっかりしたつくりなので、カバン本体を背中の高い位置で保持しやすのも特徴です。
 「さんぽセル」の開発途中で、ランドセルの重さを実感する実験の様子が写真で紹介されていました。水を一杯に入れた2リットルボトル19本をつなげて、大人が背負う写真です。しかしその姿からすぐに違和感をもつのは、ボトルのほとんどが背中の下半分からお尻を覆うように繋がっていることです。かつて都会の女の子たちがファッションで背負っていたバッグと同じ扱いです。

 しかし登山の専門家やバッグパッカーはあんな背負い方は絶対にしません。重い荷物はできるだけ背中の高い位置に背負うのです。だから転ぶときは前に倒れ、両手をつくことになります。背負うというよりは“尻負う”といった方がいいほどの低いところに置けば、重くてしかたがない上、よろけて転ぶときはうしろです。危険極まりない。


【安全装置としてのランドセル】

 ランドセルは高い位置に置くのが前提ですから、後ろに転んだときに後頭部を打つ心配がありません。人間は前頭部や側頭部を地面に当てて転ぶことは稀なのです。手は自然に出ます。しかし後ろに転んで手で防げる人はいません。
 ランドセルを背中の高い位置に置くと少し前かがみになりますから、もともとうしろには転びにくいのですが、何かの事故で後ろに倒れたときは、ランドセルが緩衝体になるとともに頭を打つ危険からも守ってくれるのです。

 さらに意外かと思いますが、ランドセルは中にものが入っていても水に浮きます。背中のものですから水の中でうつぶせになりがちになります、高学年の子ならうまく利用できるでしょう。
 また流れの速い川などに落ちた場合は、ランドセルが目印になって大人が追いやすい。これも優れた能力と言えます。

 ランドセルは完璧です。もしその重さが問題だとしたら、中に入れるものがいけないのです。


【置き勉ができない二つの理由】

 脱ゆとりで学習内容が増えたという説明もありますが、これはもう小学生の教科書がB5版からA4版に変わったことが一番でしょう。その際に文字のポイントは大きくなり、図版も増え、ドラえもんが走ったりするようになりましたからページ数は減っていない。もともと重かったランドセルの中身がさらに重くなったのです。
 それなら必要のない教科書やノートは学校に置いておけばいいじゃないか、というのが当然の理の帰結です。これを「置き勉」と言います。しかし学校はやらない――。

 これについては教師が頑固だとか、体を鍛えるためにそうさせているのだとか、たくさんの悪意に満ちた推論が出回っていますが、実はひとつには「必要なものだけ持って帰させる」ということが至難だということがあります。

 小学校で子どもたちが理科室や家庭科室に移動するときの様子を見たことがありますか? 普通の先生は点呼と持ち物チェックをして、それから列をつくって特別教室に移動するのです。そうしないと誰かが必ず忘れ物をする、場合によっては子ども本人が行方不明なる。それが小学校なのです。

 ですから置き勉も帰りの会
「さあ、今日持ち帰るものを集めますよ。まず算数の教科書とノート、それを机の上に置いてえ~。次は国語、行きますよ。まず教科書、漢字ドリル、出したかなあ~」
とかやって全部机の上に揃ったらもう一度確認して、全部をランドセルに入れさせます。そういうことを毎日しなくてはなりません。
 大した手間ではありません。ものの5分でもできることとも言えます。けれど帰りの会では持ち帰りチェックの前にやらなくてはならないことが山ほどあるのです。その5分はとても負担になります。

 置き勉のできないもうひとつの理由は、具体的でしかも決定的。とにかく置き勉を置く場所がないのです。

 机の中に入れると重くて掃除ができない。
 教室うしろのロッカーはランドセルや給食着、体操着でいっぱい。冬場はコートが入りにくいほどです。おまけに時期によっては絵具セットや裁縫セットも入っていますから、そう簡単に空間を生み出すことはできません。置いたとしても、普通の子どもの整理能力では中はたいへんなことになってしまいます。

 解決策としては、とにかくロッカーを増やすこと。できれば高さがA4サイズで整理しやすいものを設置するしかありません。このさいですから絵具セットや裁縫セットも置けるようにしましょう。 
 私は児童館の仕事をしているときに20人分のロッカー(といっても間口60cm四方の棚)を発注したことがありますが、価格は30万円でした。40人分だと50万円程度でしょうか?
 全国には小学校だけでおよそ2万の学級があるそうですから100億円程度で済む話です。ただし窓辺の設置だと落下防止の安全柵も置かなくてはなりません。ロッカーの上に乗って窓から落ちそうになる子は、いつか必ず出ます。また、そもそも教室に設置する場所のない学校だってあります。そうした学校ではロッカールームの設置から考えなくてはなりません。

 そんなことより宿題をなくせば教科書などの持ち帰りはしなくて済む、という考え方もできます。給食を廃止すれば給食着を持ち帰って洗濯をする手間もなくなり、子どもの負担も減るでしょう。いっそのこと勉強自体をなくしてしまえば、教師も子どもも気楽だなと、二日連続でイライラしている私は思います。

(この稿、終了)