カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「検査の前にあったこと、原因帰属、やっぱり私は運がいい」~大腸検査と運の話③

 ちょっと自分の人生を振り返る。
 私は運がいいのだ。
 今回の大腸検査に関してもそうだった。

という話。

f:id:kite-cafe:20210423074819j:plain(写真:フォトAC)

 

【原因帰属と私の変遷】 

 心理学に原因帰属という考え方があります。
 ものごとが成功あるいは失敗した場合、その原因を何に求めるかにはそれぞれ個性があり、原因の帰属のさせ方はその後の意欲や行動に深く関係するというものです。原因の帰属先としては「才能・能力」「努力」「課題の難易度」「運」が代表的なものとして挙げられます。
 例えば柔道の試合で負けたとき、原因を「才能がないからだ」と考えるか「努力が足りなかったからだ」と考えるか、あるいは「相手が強すぎた」と思うか「運が悪かった」と思うかでは、その後の意欲や行動に差が出てくるというのです。
 何となくわかりますよね。

 私は子どものころ、自分はけっこう頭が良くて能力があると信じていました。それを裏付ける事実も会ったのです。小学校6年生のときに受けた算数のテストで100点をとったのは、学年内に私と、のちに東大医学部に現役合格した同級生の二人しかいなくて、先生から特別に誉められたりしたことがあったからです。
 自分は頭がいい、それが当時の私の、原因の帰属の仕方でした。

 ところが中学校に進むと私より頭の良い同級生はいくらでもいて、校内テストや高校入試、さらには大学入試などで揉まれると、次第に限界を感じるようになります。私はやがて「自分はほんとうは頭がいい、けれど努力が足りないから良い成績を残せないのだ」と、そんなふうに考えるようになりました。原因の帰属先を才能・能力から努力に移したのです。まだ頭がいいというところにすがっている面はありました。

 やがて大人になって教職に就き、頭の良い同僚や感心するほど賢い児童生徒を見ているうちに、どうやら自分は思ったほどに頭がいいわけではないのだと理解するようになります。とくに記憶力、その中でも理屈で抑え込めないものはなかなか入ってこない。
 美子なのに美しくない、賢人なのに賢い人ではないといった矛盾だらけの人名、どう見ても「ビューティフル」とは読めない“beautiful”、“do”はやっぱり「ド」だろうと言いたくなる英語などは絶望的でした。
 小学校のとき将来の東大医学生と同じ満点をとったという武勇伝も、あれが100点満点だったから同じだっただけで、1000点満点だったらあちらが980点くらいとって、私がせいぜい120点。それを100点で足切りしたから同じになっただけ――それくらいの差があったと理解したのです。

 もっとも、そう考えると学生時代、この賢くない頭で自分はむしろよく努力したのではないか――そんなふうに思えるようになってきました。同じ成績をとっているとしたら、頭のいいアイツよりは私の方が努力したことは明らかです。

 

【今の生活の原因を何に帰属させるか】

 ここで新たな課題が生れます。
 結婚して子どもが生まれてこの方、私は一貫して満足できるけっこうな生活を送ってきました。夫婦で教員ですから収入は安定していて老後に不安のないだけの蓄えもできました。二人の子どもに恵まれ、二人とも大過なく大人になって独立しました。現在の夫婦ふたりの生活にも不満はありません。つまり一言でいえば幸せな半生を送ってきたのです。そうなった原因は何なのでしょう?

 前述のように才能や能力が高かったわけではありませんし、努力においてはむしろ劣るくらいです。帰属論で言えば残るうちのひとつは「課題の難易度」。年収1億円を目指すとか、子どもを二人とも東大医学部に入れるとかいった難しい課題を課さなかったのですから、楽だったと言えば楽です。しかし「平穏無事」「平々凡々」だってそんなに低すぎる課題ではないでしょう。そうなると残るは「運」だけです。
 そうです。私は「運」だけで現在の生活を手に入れてきたようなのです。今回の大腸検査もそうでした。
 
 

【検査の前にあったこと。私は運がいい】

 2年前の人間ドックで引っ掛かって初めての大腸内視鏡検査を受け、数個のポリープが発見されたことはお話ししました。その際、医師が「ガンになるまでは数年かかるので、とりあえず2年後にもう一度検査をしましょう」と言ったことも記しました。

 私は忘れずに2年目の今年、人間ドックを受けたついでに大腸検査の予約も取るつもりだったのです。ところがちょっとした手違いがあり、その日は予約せずに戻ることになりました。その夜、今度は別の用件で2年前の日記に目を通さなくてはいけないことがあり、パラパラと眺めていたら(本当はエクセルに書いているのでパラパラとは違うのですが)、大腸検査の記述が残っていて、そこに「3年後に再検査することになった」とあったのです。
 人間の記憶なんてアテにならないものです、と一般化するまでもなく、私の記憶はアテになりません。そこでいったん予約するのをやめました。

 先月末、東京の緊急事態宣言が明けて、今から思うとピンポイントで東京の娘と二人の孫を呼び寄せることができました。正確に言えば電車を避け、私たちが車で送り迎えしたのです。会うのは半年ぶりです。
 5歳の孫のハーヴはそれほど変わりませんが、1歳9か月のイーツの方はもうすっかりハイハイをやめ、凄まじい勢いで走るまでになっていました。そのイーツの目下のブームは、引き出しや本棚から次々とものを取り出して大人に渡すことです。
 叱るわけにもいきませんから「ありがとう。元のところに戻しておいてね」と突き返そうとするのですが、まだ戻すことはできません。置いていくだけです。
 こちらも何かと忙しいのでいちいち戻しに行くこともできず、近くの棚の上などに仮置きするのですが、そんな仮置き場があちこちにできてしまいます。

 やがてイーツはぎっしり詰まった本棚から、苦労してひとまとめのクリアファイルを引き出し、私のもとに届けます。二年前の人間ドックの報告書です。中に半切のメモが挟まっていて、見ると内視鏡検査をしてくれた女医のメモでした。
「2年後に再検査」
 びっくりしました。3年ではなくやはり2年なのです。
 記録より記憶の方が正しいこともある。それで慌てて予約をし直し、先日、行ってきたわけです。

 妻の姉、つまり私にとっての義姉は、都合があって人間ドックを1回キャンセルし、2年間あいだを置いて受けた検査で胆管がんが発見され、しかし手遅れで1年7か月後に亡くなりました。
 もちろん極めつけに厄介ながんですからドックを受けても見つからなかったかもしれませんし、発見されたところで助からなかったかもしれません。しかしつまらない理由でキャンセルしたことは、のちのち本人や家族にとって大きな負担となりました。

 私の場合は検査が一年遅れたところで十中八九問題はなさそうですが、万が一、あるいはそうでなくても一年後の検査で無事がわかるまで、つまらない間違いで1年先送りした事実は大きな負担となったはずです。そうならなかったところが、やはり私は運がいいのでしょう。私は運だけで生きてきました。

 それにしても、イーツはなぜ選りによって一番重要な書類を引っ張り出してきたのでしょう?
 感謝しなくてはいけませんね。

 この子です。
   ↓

f:id:kite-cafe:20210423075011j:plain

(この稿、終了)