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「北斎『富岳三十六景』の謎」~教師の教養と学校のアカデミズム①

 葛飾北斎の富岳三十六景に関するテレビ番組を見た。
 そして心が沸き立つような思いに浸った。
 「凱風快晴(赤富士)」「山下白雨(黒富士)」そして「神奈川沖浪裏」。
 すごいぞ、ちょっと聞いてくれ。

 という話。f:id:kite-cafe:20210426065411j:plain(写真:フォトAC)

【NHK「歴史探偵」を観る】 

  長く続いたNHK「歴史ヒストリア」に代わって、今月から「歴史探偵」という番組が始まっています。まだまだ方向性が定まらない感じで前に比べて何がいいのかわからないのですが、その第4回「葛飾北斎 天才絵師の秘密」が面白かったので紹介しておきます。

 番組はまず、「富岳三十六景」の中に二枚だけ、どこから描いたものか場所がわからない絵があるというところから始まります。絵に題名に地名がないのです。一枚は「凱風快晴(がいふうかいせい)」、通称「赤富士」。もう一枚は「山下白雨(さんかはくう)」、通称「黒富士」です。

【赤富士と黒富士のなぞ】

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 まず「凱風快晴」ですが、語としては「初夏の風・快晴」という意味だそうです。
 「歴史探偵」のスタッフは富士山頂の雪形から、描かれた場所を富士市富士川の河口付近と推定して、そこから日々移ろう富士山の様子を撮影し続けます。「凱風快晴」とそっくりな富士を捉えようというのです。
 そしてついに快晴の朝、富士が山頂から徐々に日を浴びて、刻々と色合いを変えていく様子を撮影することに成功するのです。それはまさに「凱風快晴」と全く同じ、そこから、北斎はこの絵に移ろいゆく時間そのものを封じ込めようとしたのではないかと結論するのです。

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 赤富士が時間を封じ込めたものなら、黒富士は空間を一枚の絵の中に封じ込めたものと考えられます。注目すべきは富士山の左の裾野のむこうに見える山地です。山梨県にある三坂山地と考えられます。
 ところが実際に静岡県側から三坂山地を望もうとすると、富士に隠れて見えません。見るためには富士宮市あたりから上空2500mまで上昇しなくてはならないのです。NHKのヘリコプターカメラは、見事にその様子を捉えます。
 もしかしたら葛飾北斎は実際に空を飛べたのかもしれない――。もちろんそんなことはありませんが、富士山の専門家ですから周辺のどの位置に何があるかを正確に把握していて、富士宮市上空のある場所まで上昇すれば、必ず三坂山地が見えると承知して描き込んだのです。

 景色を鳥観的に描くのは北斎の独創ではありません。そうした描画法は古くからあって、源氏物語絵巻では屋根を取っ払ったように宮殿内の様子が描かれ、戦国時代前後の洛中洛外図などではご丁寧に部分部分を雲で隠し、「これは雲の上から描いたものです(だから街中が見えるのです)」と説明しているようにさえ見えます。
 しかし「黒富士」が空中の一点をめざしてそこに視点を置いたのは、そうした便宜的な理由でなく、ただ「晴れた富士山頂」「激しく雨が降り雷鳴とどろく麓」という対比を描きたかったからなのでしょう。そうした発想から描く鳥瞰図的な絵画は、北斎にして初めて試みられたのかもしれません。

【実験「神奈川沖浪裏」】 

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 富岳三十六景の中で特に人気の高い3作品を「三役」と呼ぶらしいのですが、「赤富士」「黒富士」と続けば残るは当然、「神奈川沖浦浪(かながわおきうらなみ)」です。
 番組では「神奈川沖~」に描かれた大波を再現しようと、東京都三鷹市にある海上技術安全研究所の大プールで実験します。
 その様子は大変面白いので、興味のある方はNHKプラス(無料契約が必要)で4月28日(水)11:14まで配信しているので是非ご覧になってください。

 実験はみごとに成功し、「神奈川沖~」とそっくりな波を作り出し、そこに模型の船まで浮かべるのですが、その過程で東大の教授が面白いことに気づきます。絵に描かれた三艘の船は同じものであって、アニメーションのコマのような役割をしているのではないかというのです。右の船、中央下の船、左の船の順で、模型の実験船とまったく同じ傾きをしているからです。

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 一瞬の波の動きを正確にとらえ、船の様子も見逃さない――教授は思わず「これは神眼(しんがん)ですね」と呟きます。

【江戸の高速艇】

 今回の番組からではありませんが、比較的最近、私は「神奈川沖浪裏」についてとんでもない思い違いをしていたことに気づきました。船に乗っている人たちを見て、「乗客たちもほんとうに大変だったろうな」と思っていたのですが、富士を見てください、これだけ雪をかぶっているのですから真冬、しかもこれほどの大波を押して進むとなると客船ではありえません。「押送船(おしおくりぶね:おしょくりぶね)」といって江戸に海産物を運ぶ高速艇だったのです。

 船べりでは左右4人ずつ計8人の漕ぎ手が櫂を握り、よく見ると前方に二人の交代要員まで置いてあります。それほどの人数をかけて危険な海を急ぐのには理由がありました。積み荷が初ガツオ、江戸庶民あこがれの縁起もので、とんでもない高値がついたのです。だから命を懸けて急いだ――。
 そう思って絵を見ると、人々の息遣い、躍動感まで伝わってきそうな気がします。

(この稿、続く)