カイト・カフェ

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「人を殺すことの覚悟と用意」~若きテロリストたちの肖像③ 

 人を殺すなどという恐ろしいことを、あの人たちはなぜ易々とやってのけたのだろう。
 殺人が繰り返し小説や映画のテーマになるのは、そこに人間の深淵が見えるからだ。
 そして2200年前の中国の暗殺者は、
 やはりそれが容易でないことを私たちに教えてくれる。

という話。

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(写真:フォトAC)

 

【性と殺人の深淵】 

 かつて犯罪と性は小説の二大テーマでした。なぜ名もあり地位もある人があんな女のために身を滅ぼしていったのか、なぜ普通の社会人が殺人などといった大それた事件に関わっていったのか――。そこに探究すべき何ものかがあるはずだと考えたのです。
 谷崎潤一郎川端康成といった超一流の小説家が性の問題にのめり込んでいくのも、現実の犯罪に触発された傑作がいくつも残るのもそのためです。

 しかし近年、性の探究については作家の想像力を圧倒する動画や告白がインターネット上でいくらでも見られるようになり、作家の興味はずいぶん衰退したのかもしれません。映画を見ても年齢制限のかかっているのは大部分が暴力を理由としたもので、性への関心は次第に薄れているのかもしれません。

 一方、犯罪への関心は衰えず、小説や映画・ドラマは常に刑事ものや犯罪がらみで満ち満ちています。
 純粋に推理を楽しむもの、刑事の陽気な活劇ドラマ、派手なアクションもの、悪漢小説(ピカレスクロマン)。
 一般人が知らず知らずのうちに犯罪者へと追い詰められていく社会派と呼ばれた分野、そして数は少ないですが、犯罪者の内面だけを問題としようとするもの――。
 中でもテロリスト・暗殺者を取り上げた作品は、主人公が殺人を正義と考えて実行しているため、奥行きが深く、好作品となることが多いのです。

 

荊軻(けいか)】

 「史記―刺客列伝」に出てくる暗殺者・荊軻は紀元前3世紀末に生きた人で、読書と剣術と酒を好んで諸国を放浪した食客です。彼の生き方から「傍若無人」という言葉が生れたように、豪放磊落な性格で、しかし一方、臆病者と嘲笑されるほどに慎重な面もあったようです。

 荊軻が刺客として狙った相手は中国全土を制圧する以前の秦の国王、のちに始皇帝と呼ばれる「政(せい)」です。映画「キングダム」で吉沢亮さんが演じた人物で、映画の中では「嬴政(えいせい)」と呼ばれていました。荊軻が暗殺者として送り込まれたのは映画の舞台よりもさらに20年ほど後、政が秦の国内を完全にまとめ、領土拡大に乗り出していた時期のことです。

 秦の圧迫を受けていた隣国の燕はそのままだと秦に飲み込まれるのは明らかでした。そこで燕の太子「丹」は刺客を送って政を倒すことで状況を変えようとしたのです。そこで選ばれたのは荊軻でした。

 

【人を殺すことの覚悟と用意】

 私が荊軻の物語に強く惹かれるのは、暗殺というものを計画する際の、周囲に人々の綿密さと覚悟のためです。
 丹に荊軻を紹介した人物は秘密が守られることを保障するために、その場で自害して果てます。荊軻は秦王政のより近くに近づくためには燕の肥沃な土地の一部と、丹に疎まれて燕に逃亡していた秦の元将軍の首が必要だと考えました。ところが太子丹は、土地はともかく自分を頼ってきた人物の首を差し出すわけにはいかないと答えます。すると荊軻は直接その将軍のもとを訪ね、「秦王を殺すためにはあなたの首が必要だ」と説明するのです。すべてを了解した将軍は自死して首を荊軻に与えます。
 政を討つための匕首名工につくらせ、毒で焼き入れをした上に罪人を使って何度も試されます。
 暗殺はそうした犠牲と準備の上に行われようとするのです。

 

荊軻の最期――人を殺すことの困難】

 秦に向かって出発する朝、わずかな関係者は喪服を着て見送ることになります。荊軻はそれに対し、二度と帰らぬことを誓って一編の詩を読みます。それが有名な、
「風蕭蕭(しょうしょう)として易水(えきすい)寒し、壮士一たび去りて復(ま)た還らず」
です。

 もくろみ通り肥沃な土地と将軍の首は秦王政を大いに喜ばせ、荊軻は政の正面に立つことになります。そして割譲する土地の地図を目の前で広げ、その最後の部分に巻き込んであった匕首を手にすると、荊軻は政に躍りかかります。しかし切っ先はわずかに政に届きません。

 謁見の場では武器を持っていたのは秦王ひとり。すぐさま応戦しようとしたのですが剣が長すぎて鞘から抜けず、追う荊軻と逃げる政の格闘はしばらく続くことになります。幾度となく攻撃をかわし続けた政は、やがて刀を背中に回して背負うようにして抜くことに気づきます。一度抜いてしまえば長剣と匕首、勝負になりません。荊軻はまず足を切られて立てなくなり、最後に匕首を投げたもののわずかに逸れ、ぐったりと柱にもたれかかると政を罵り、あとは政に切られるに任せたと言います。激高した政は荊軻が絶命してもなお切ることをやめませんでした。
 それが荊軻の暗殺物語のすべてです。政はすぐさま燕の攻略に取り掛かり、5年後には完全に亡ぼして秦の版図をさらに広げました。

 余談ですが1985年1月、大阪で日本最大の暴力団の組長とナンバー2が同時に暗殺されるという事件がありました。このときの実行犯4人がいずれも40歳前後の中堅組員だったことに、当時の私がずいぶんと驚いた記憶があります。4人で5丁の拳銃を用意し、山中で射撃訓練までしています。
 ヒットマンと言うのは子どものように若い捨て駒がやるものだと思い込んでいましたが、本気で計画して確実に成し遂げようと思えば、若いチンピラでは荷が重すぎるということなのでしょう。
 冷静に人を殺すというのは、容易なことではないのです。

(この稿続く)

《追記》
 ついでに申し上げておきます。
 最近、もう必要ないから中学・高校で古文や漢文を学ぶのをやめようという話があるみたいです。
 しかし先ほどの荊軻の詩を、
「風は寂しく吹き、易水の流れは冷たい。壮士がいったん去ったなら二度とは戻らない」
と書いたら何の感慨もなくなってしまいませんか?
 やはり日本人としての教養の基礎に、古文と漢文の素養があるのは重要でしょう。実利・有用性だけで言うなら、英語もプログラミングも、それどころか美術や音楽だってなくて困るようなものではないでしょう。