「子どもたちのテロル」~若きテロリストたちの肖像④ 

 映画「灰とダイヤモンド」のマチェク、「テロリスト群像」のカリャーエフ。
 彼らにはどこか同じ種類の匂いがまきまとう。
 ひとつには恐ろしいまでの純粋さ、初心な精神、
 そして歴史の中に埋もれていくこと。

という話。f:id:kite-cafe:20210308073603j:plain(写真:フォトAC)

【マチェク―「灰とダイヤモンド」】

 アンジェイ・ワイダ監督の映画「灰とダイヤモンド」(1958)は、1945年5月8日(ベルリン陥落の日)から翌9日に至る二日間に、ポーランドの一地方都市で起こった暗殺事件と犯人の死を描いた物語です。
 当時すでにソ連軍の占領下にあったポーランドでは新政府の主導権を争って親ソ連派と反ソ連派が激しく対立していました。主人公のマチェクはかつての対独レジスタンスで、今はロンドン亡命政府から指示を受けて対ロシア抵抗運動を続ける24歳の青年です。一方、暗殺犯に狙われるのは共産主義者、党県委員会書記のシュチューカで、こちらも決して悪人ではなく、焦土と化したポーランドソ連の支援を得ることで再生しようとする愛国者です。
 いわば両方に正義があるわけで、反共テロリストを主人公とするこの映画が共産党一党独裁だった当時のポーランド政府に許可されたのもそのためです。

 映画はちょっとした行き違いから、マチェクが標的と間違えて一般人を殺害してしまうところから始まります。誤殺はすぐに明らかになりますが、そのことがマチェクの心を揺さぶることになります。
 その夜のうちに暗殺のやり直しが検討され、マチェクは積極的に推進しようとしますが、一方で酒場の女に心を奪われ、普通の、当たり前の生活を夢見たりします。しかし運命はマチェクが舞台から降りることを許さず、対ドイツ祝勝花火のうち上がる中で、マチェクはシュチューカ暗殺を果たし、年配の愛国者は若い愛国者の腕の中に倒れ込むようにして絶命します。
 ただし、人を殺した者が神から許されるはずもありません。
 翌朝、保安部隊に発見されたマチェクは洗濯されたシーツの見事に広がる物干し場で撃たれ、ゴミ捨て場でボロ雑巾のようになって死んで行きます。燕の荊軻にも匹敵するような惨めな死にざまです。私はここで、「まるで犬のようだ」と言いながら死んで行ったカフカの小説、「審判」の主人公ヨーゼフ・Kを思い出しました。
 結局、この暗殺者は歴史の捨て駒でしかなかったのです。

【カリャーエフ―「テロリスト群像」】

 イヴァン・カリャーエフは1905年2月にロシアのセルゲイ公を暗殺し、死刑となった27歳の詩人、実在の社会革命(エスエル)党員です。彼が印象深いのは暗殺に成功したからではなく、その二日前、大公暗殺の絶好の機会に恵まれながら決行せずに引き返したことによります。

 暗殺の中断は実に危険な行為で、万が一その場で目撃・逮捕されれば厳しい追及によって組織自体が危険に曝されますし、運よく逃げおうせても警備が強化され、再度の暗殺は非常に困難になります。また暗殺を中断するということは持ち帰った手投げ弾からいったん信管を抜かざるを得ず、次の機会に再び装填することも含めて非常に危険な作業を仲間に強いることにもなります。このときの爆弾製作係はドーラ・ブリリアントという名の若い女性でしたが、カリャーエフは彼女に再度の危険を犯させることを十分に理解したうえで、ぎりぎりのところで投擲を回避するのです。
 何があったのか――。
 実は観劇のために劇場に向かうセルゲイ公の乗る馬車に走り寄り、手投げ弾を持った腕を振り上げた瞬間に、中にいる大公夫人と二人の子ども(セルゲイ公の甥)の姿を見たのです。

 セルゲイ大公暗殺事件については、カリャーエフの直属の上司でこの事件の直接の担当者、作家で詩人のサヴィンコフが書いた「テロリスト群像」にかなり詳しく書いてあります。それによると暗殺中断後、サヴィンコフに会ったカリャーエフはかなり興奮した様子で、
「ボクの行動は正しかったと思う。子供を殺すことができるだろうか?・・・」
と呟いたと言います。
 彼は仲間を危険に曝したことに大きな不安を感じるのですが、その時の状況についてサヴィンコフは次のように記しています。
「わたしは彼に向かって、自分は彼を非難しないどころか彼の行動を高く評価する、と言った。それで彼は、戦闘団が大公暗殺の時に、妻や甥たちまで殺す権利があるかと言う一般的問題の解決を申し出た。われわれは、この問題をまだ一度も話しあったことがなかった。それは論題にものぼりさえしなかった。カリャーエフは、もしわれわれが大公の家族全員を殺すことに決めたならば、自分は劇場の帰り道で、誰が乗っていようとも爆弾を投げつける、と言った。わたしは、そんな暗殺はできないと答えた」

 サヴィンコフの戦闘団はこのときまでに一件の暗殺事件を成功させており、また爆弾製造中の事故で仲間の一人も失っています。すでに時計が回ってだいぶ経つというのに、この期に及んで初めて「大公暗殺の際に家族を巻き添えにしてもいいものか」といった議論を始めるのです。しかもその答えは「そんな暗殺はできない」です。
 なんと初心なことでしょう。

(この稿、続く)