カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「何が出ても、すべてアタリの出産ガチャ」~子どもは生まれたとき、すでにたくさんのものを持っている  

 久しぶりに二人の孫にあった。
 特に1歳のなったばかりの下の子は、まるで違った子に育っていた。
 しかも兄とも、顔以外は全く違っている。
 出産ガチャ――子どもは生まれたとき、すでにたくさんのものを持っている。

というお話。

f:id:kite-cafe:20200626073135j:plain(「寝転ぶ赤ちゃん」フォトACより)

【子どもは予定通りに生まれない】

 昨日は、東京の娘のシーナところへ行ってきて、あとで心が痛んだ話をしました。しかし孫たちに会えたこと自体は嬉しいことです。

 1歳になったばかりの次男のイーツはよちよち歩きというよりは酔っ払いのようなヨタヨタ歩きで、ハイハイもほとんどしなくなっていました。2月に会ったときはまだズリバイ(匍匐前進みたいなハイハイ)も十分ではなかったので、大切な時間の多くを新型コロナのために見落としたことになります。しかしそれも運命でしょう。

 運命と言えばこの子が生まれたときも予定通りではありませんでした。母親のシーナは長男が難産の上に新生児仮死で生まれてきたこともあって、不安で、2度目は無痛分娩で計画出産するはずだったのです。ところが1カ月も早くに破水してしまい、結局、普通分娩で産まざるをえなくなりました。
(参照)kite-cafe.hatenablog.comi
以下。

  そんな出産もあるかと思えば、これも先日お話ししたシーナの友だちのエリカの方は、同じ無痛分娩でしかもほぼ計画通りだったにもかかわらず、出産のスピードが速すぎて産院についてからの麻酔が間に合わず、十分に効き目が出る前に生まれてしまったそうです。シーナに比べれば超短時間だったはずなのに、痛みが半端ではなかったとかで、「もう二度と子どもを産まない」と固く誓ったといいます。
 何ごとも予定通りには行かないものです。そして生まれた子も予定通りには育たない。

【イーツの成長】

 久しぶりに会ったヨタヨタ歩きのイーツは陽気な子でした。いっしょにいたのが短時間でしたのでたまたまその時間だけ機嫌が良かったのかもしれませんが、テレビや玩具から音楽が聞こえてくるとどうしても身体を動かさずにはいられないみたいで、細かく上下にはずんでみせたり両手を左右に振ってみせたり――そしてときどき親の方を振り返ってキャッキャと大声で叫んでみせたりします。
 そうかと思うとお笑い番組で出演者たちが大笑いすると、意味も分からないのに一緒になって笑っています。大勢が笑っていると自分も笑わなくてはいけないと思い込んでいるようです。

 そんな様子を動画に撮りたくてスマホを向けると、はじめのうちはいいのですがやがて私に気づいて、ニコニコヨタヨタ近づいてくると膝にちょこんと乗ってスマホを奪おうとします。久しぶりというよりは未知に近いはずの私に対して、何の警戒心もないのです。
 もちろん可愛いのでそれでいいのですが、驚かされるのは兄のハーヴとの違いです。ハーヴはそれとまるで違った子だったのです。

【二人はこんなにも違う】

 当時はそんなふうに思わなかったのですが、今のイーツと比べると、ハーヴはとても不愛想な子でした。うっすらと笑うことはあってもキャッキャと声を上げて笑うことはあまりありませんでした。

 新生児仮死で生まれたときはものすごく心配させた子です。しかしその後は大きな病気もすることなく、おとなしく、育てやすい子でした。
 持って生まれた臆病者の都会っ子で、ハイハイの時期には畳の部屋から板の間に降りる3cmほどの段差が怖くて、後ろ向きで下がったくらいです。

 歩き始めの一週間は、それこそ顔をクシャクシャにして笑いながら歩いていたのに、しばらくすると修行僧みたいな厳格な表情で、果てしない歩行訓練といった感じになってしまいます。
 砂も水も草もみんな嫌いで、海水浴は泣きっぱなし、公園で靴を脱ぐこともできません。
 私と一緒の時もずっといい子で困ることもないのですが、さりとて私といるのがうれしい様子もありません。先日、久しぶりに会ったときも大げさに喜ぶふうもない。
 あとでシーナから「ハーヴもとても楽しそうでした」とLINEのメッセージが入ったのですが、私からしたら「あれが楽しいっていう顔かい?」てなものです。

 一方、イーツはじっとしていない。乳幼児につけるヘルメットが売ってないとシーナが嘆くほどによく動く、転ぶ、頭を打つ。音楽が鳴れば踊る、笑い声が聞こえれば一緒に笑う。夜泣きは頑固で、根性を見せて泣き続ける――。

 兄弟を見比べて「同じように育てたつもりなのに――」という人がいますが、生まれたときからこれほど違う子どもたちを、“同じように育てた”はずがありません。違うタイプの子が生まれて、違った育て方をしたのです。

【出産ガチャ--子どもは生まれたときにすでに、たくさんのものを持っている】

 昨年、一部で「出産ガチャ」という言葉が流行したみたいです。良い意味ではありません。

 子どもに手間も暇も金もかけて、一生懸命勉強させたのに大した大学には入れなかった。一方、近くに住む貧乏人の子どもは東大だ。やはり出産した段階でカプセルトイのガチャのようにハズレを引いてしまえばしょうがない――とネットのどこかに載った嘆きが始まりだったみたいです。

 親にハズレと言われた子はかわいそうですが、カプセルトイは必ずしも当たりはずれの問題ではないでしょう。
 ガチャを回すとき、「これが出てほしい」「これが出なくてはだめだ」という思いで動かせば、目指したもの以外はすべてハズレです。しかし「何が来てもいい」「どれが来てもおもしろそう」――そう思って回せばすべてがアタリです。

 “子どもは生まれたときにすでに、たくさんのものを持っている”という意味では、確かに出産はガチャみたいなものですが、シーナのように二度回したら二度ともまったく異なるものが出てきて、それがおもしろい、そう考えれば出産ガチャも希望に満ちてくるではありませんか。
 私は歳ですのでこれから先に機会があるわけではありませんが、こんなことなら出産ガチャ、もっとたくさん回しておけばよかったと思っています。