独身の頃、結局は寂しかったのだと思いますが、ふと思い立って熱帯魚を飼い始めたことがあります。ネオンテトラを50匹ほどです。当時としては結構な投資でした。
熱帯魚の飼育というのは案外簡単なもので(と最初は思った)、水草の繁殖こそうまくいかなかったものの蛍光灯に照らされた水の中を、青と赤と銀に彩られた魚がいそいそと動くさまはほんとうに幻想的でした。水槽の水はときどき減った分をたしてやるだけで、心配していた藻の繁殖もなく、いつまでのきれいなままです。
しかしやはり生き物を飼っているわけで、やがて底の砂利の中に赤い魚の糞がいっぱいにたまってきて、そこで勇断。魚を一匹一匹洗面器に移し、水槽の水を抜いて砂利も洗い、水を全部交換しました。
そしてそれ以後、あの美しく透明な水は二度と戻ってこなかったのです。
おそらく最初に入れた水が絶妙のバランスを保って藻の繁殖を抑えていたのでしょう。総入れ替えした新しい水ではそのバランスを再現することができず、以後ずっと水槽の掃除に追われることになります。
しかしあれは何だったのでしょう?
【May it be】
エンヤの歌に「May it be」というのがあります。映画「ロード・オブ・ザ・リング」の挿入歌で、たいへん抒情に満ちた曲です。その題名「May it be」を、私は長いこと「すべてがいつまでも、そのままでありますように」という意味だと思って、たいそう気に入っていたのです。ビートルズの「Let it be」(あるがままに、すなおに、そのままに)からの類推です。
しかし今回調べ直してみると、どうやら「May it be」は何かをお願いするときの枕詞みたいなもので、エンヤの歌も最初の1行は「May it be an evening star shines down upon you(夜空の星があなたの頭上で輝きますように)」です。
ちょっとがっかりです。
というのは先ほどの水槽の例がそうであるように、“何か物事がうまくいっている時は、何も動かしてはいけない”と私は信じているからなのです。「May it be」が「すべてがいつまでも、そのままでありますように」という意味なら、それは私の感じていることにぴったりです。
(ちなみにgoogle翻訳で調べたら、「何もかも そのままで」は“Keep everything as it is”と出てきました)
物事がうまくいっている時、その原因追究はとても困難です。
何かを動かしたら うまくいくようになった、ということなら当然その「動かした」ことが原因ですが、「なぜかわからないがうまくいっている」「気がついたら非常にいい状況だった」といった場合には、どこに原因があるのか探しにくいのです。人が生きて行く周辺には様々な要素があり、それが複雑に絡み合っているからです。原因は一つではないかもしれませんし、物事の関係性自体がそれなのかもしれません。どこかをいじってそれで不都合が起こればいじった部分が原因であることはだいたい想像がつきます。しかしそれで事態が決定的に悪化して元に戻らないということだってありそうです。それは風前の灯のように危ういものなのか意外と堅牢なものなのか、それもすらも分かりません。
ただし、幸福の方程式を解いて世界に広めようといった野心を持たない限り、原因追究などする必要はありません。その心地よい状況を満喫すればいいだけのことです。下手にあちこちいじって、私の水槽のように台無しにすることはありません。
おそらく今の私は人生の中で一番しあわせなときです。
二人の子どもたちについては一応生きて行く目星がつきましたし、妻も大過なく職業人としての生活を全うしそうです。
90歳を過ぎた母は多少弱ったとはいえ、今も元気で畑仕事などをしています。
私自身は晴耕雨読。やりたいこともやることもたくさんあって、けっこう充実した毎日を送っています。
「いま死ねば、私はほんとうに幸せ者だ」
そう口にすると家族はとても嫌がりますが(当然ですよね)、それが偽らざる私の気持ちです。だから母にはいつまでも元気でいてほしいし、妻や子に異状が起きないよう心から願っているのです。それが私の「May it be」です。
(この稿、続く)